なぜ男は40歳を過ぎると、走り出し、山に登り、蕎麦を打ち始めるのか
ちょっと前に、こんなことを𝕏に書いた。
男は40を超えると…
— 🅁🄴🄽🄾 (@renosky99) November 19, 2025
筋トレを始め
ジムに通い
走りだし
山に登り
キャンプに行き
豆を挽き
珈琲を入れ
サウナにハマり
スパイスカレーを作り
中華鍋を育て
蕎麦を打ち
燻製を極めだす
以前から各所で言われているので「あるある」のつもりでポストした。
ところが、思いの外バズって収拾がつかないほどの大量の反応が来た。
「分かり過ぎる」
「だいたい合ってる」
「うちの旦那もやってます。次に何をし出すのかわかりました」
その中で、ひとつ面白い指摘があった。
「概ね一人でも出来ることなんだな」
言われてみれば確かにそうだ。
ランニング
登山
コーヒー
蕎麦打ち
キャンプ
燻製
どれも、誰かがいなくても成立する。
これは偶然なのか。
それとも、何か理由があるのか。
若い頃は走ることが嫌いで全く興味がなかった人間が、40歳を過ぎたあたりから突然ストイックに走り始める(私です)。
なぜ、こういうことが起きるのだろうか。これは私に限った話ではなく、周りを見渡しても同じような人が結構いる。どうも単なる「趣味の問題」ではない気がしている。
もう少し大きな、人生の構造の変化と関係しているように思う。
人生の「折り返し地点」で起きること
心理学では、40〜50代の時期をミッドライフ(中年期)と呼ぶ。この時期はしばしば、「人生の正午」と表現される。山登りで言えば、ちょうど峠に差しかかるあたりだ。
20代・30代は、基本的に「登り」の時間だ。
キャリアはこれから伸びる
可能性はまだまだ広がっている
人生の選択肢は増えていく
しかし40代になると、少しずつ状況が変わる。
体力の衰えを如実に感じ始める。
親の老いが現実になる。
キャリアの天井が見え始める。
同世代の成功や失敗もはっきり見えてくる。
要するに、
「人生は無限ではない」
という事実が、急にリアルになる。
若い頃は、時間も可能性も無限にあるように感じる。しかし40歳を過ぎると、さすがに分かってくる。
人生には、はっきりと残り時間がある。
そしてこれを明確に悟った瞬間、人の心理は大きく変わる。
私はタレントの故・小倉智昭さんが日本経済新聞に書いたコラムが今も強烈に心に残っている。
「老後にやろうはダメ」
体が動くうちに海外旅行をすればよかった。ワインの美味しいお店に行っても自由に飲めない。若いうちにやれることがあったらやったほうがいい。老後にやろうと思っていても、老後になるとできないことがあまりにも多過ぎる。
走りたい。山に登りたい。海外旅行に行きたい。でも「定年したらやろう」では遅いかもしれない。膝が悪くなるかもしれない。持病が出るかもしれない。だから今、体が動くうちにやっておく。この感覚は、モチベーション論とは全く別の話で、もっとシンプルな時間的切迫感だ。
若い頃は「いつでもできる」と思っていた。それが40代~50代になると「今しかできないかもしれない」に変わる。
中年になると失われる「コントロール感」
中年期の心理を語るときによく出てくる概念がある。
自己効力感(self-efficacy)だ。

簡単に言えば、
「自分の努力で世界を変えられる」
という感覚のことである。
若い頃は、この感覚が比較的強い。
勉強すれば成績が上がる。
努力すれば昇進する。
行動すれば人生が変わる。
努力と結果の関係が、比較的わかりやすい。
しかし年齢を重ねると、この関係がだんだん曖昧になる。どれだけ頑張っても評価が変わらないことがある。組織の中では、自分の影響力には限界がある。今の世界情勢や社会そのものも、自分の力ではどうにもならないことが多い。
こうして人は、少しずつ
「人生のコントロール感」
を失っていく。
自分の人生を、自分で動かしている感覚が弱くなる。
そのとき人間は、本能的に
「コントロールを取り戻せる領域」
を探し始める。
その代表例が、運動だ。
中年になると突然「走り始める」理由
ランニングや筋トレには、ある特徴がある。
やった分だけ結果が出る。
走れば体力がつく。
続ければ体が変わる。
タイムは数字で伸びる。
努力と成果の関係が、非常に明確だ。これは社会の多くの領域では、なかなか得られない。会社では、努力しても評価につながらないことがある。ビジネスでは、合理的な判断でも失敗することがある。投資でさえ、運の要素は消せない。
しかしランニングや筋トレは違う。
積み重ねれば強くなる。
サボれば、すぐに弱くなる。
極めてシンプルだ。
自分の話をすると、走る前の体力は人並み以下だった。しかしフルマラソンを目標に走り続けた結果、衰えるしかないと思っていた体力が40代になってから向上した。体が、それを証明してくれた。
最初のキッカケは人それぞれで、それは健康診断かもしれない。体重増加かもしれない。私の場合、走り始めたのは「登山でもバテない体力をつけたい」だった。
しかし続けているうちに、目的が変わる。
それは
「自分の人生を自分で動かしている感覚」
を取り戻す行為になる。
なぜ「一人でできる趣味」ばかりなのか
ここで最初の問いに戻る。
なぜ中年男性の趣味は、
一人で完結するものばかりなのか?
リプライの中に、こんな声があった。
「周りが結婚して、一緒に趣味を楽しむ友達がいなくなるから」
これはかなりリアルだと思う。
20代の時は友人の多くが独身で、誘えばすぐに集まれたし動けた。
しかし40代になると事情が変わる。
家庭
子育て
仕事
親の介護
会社や家庭で役割を担いそれぞれの責任を抱える。
「今週末どこか行こう」が、簡単ではなくなる。

だから自然と、一人でも成立する趣味に流れていく。
ランニングは一人で走れる。
山は一人で登れる。
コーヒーは一人で淹れられる。
蕎麦は一人で打てる。
さらにもう一つ理由がある。
一人の時間が必要になる。
仕事でも家庭でも、常に誰かと関わる生活をしている人間が、黙々と一人で何かに集中する時間を欲しがるのは、むしろ自然なことだ。
なぜ「職人趣味」が中年男性に刺さるのか
中年男性が好む趣味には、もう一つ共通点がある。
コーヒー
燻製
スパイスカレー
中華鍋
包丁研ぎ
革細工
ソロキャンプ
DIY
蕎麦打ち
ジャンルは違うが、構造はほとんど同じだ。
① 技術体系がある
② 改善の余地がある
③ 一人で出来る
蕎麦打ちは分かりやすい。
水回し、こね、延し、切り
工程ごとに明確な技術がある。
水の量、生地のまとまり、包丁の角度、少しの違いで、結果が変わる。
この
「分解可能な技術体系」
が、職人気質の人間にはたまらない。
さらに蕎麦にはもう一つ特徴がある。
必ず結果が出る。
打った直後の蕎麦は香りが強い。
時間が経つとすぐ落ちる。
つまり、
その場で評価される。
そして「美味しい」の一言が、驚くほど嬉しい。
中年になると生まれる「生成継承性」
ここにも心理学的な背景がある。
キーワードは
生成継承性(ジェネラティビティ)
心理学者エリクソンの概念だ。
簡単に言えば、
「自分の何かを、誰か(次の世代)に渡したい」
という利他的な欲求のことである。
若い頃、人は自分の成長に関心がある。
キャリア
収入
能力
地位
しかし中年期になると、関心が変わる。
自分が何を得るかより、
他人や若い世代に自分が何を残せるか
が気になり始める。
スパイスカレー
コーヒー
燻製
蕎麦打ち
これらは
「一人でできる」かつ「誰かに振る舞える」
という二重構造を持つ。
一人で作り、誰かに差し出す。
この往復が、中年のジェネラティビティに刺さる。
幸福度は40代で一度「底」を打つ
世界中の大規模調査で、面白い傾向がある。
人間の幸福度はU字カーブを描く。
20代は高い。そこから徐々に下がる。
40代〜50代前半で最低。
その後また上がる。
文化が違っても、ほぼ同じ形になる。
理由の一つは
役割の過密だ。
40代は
仕事の責任
子育て
親の介護
この三つが同時に重なる傾向がある。
もう一つは
理想との照合だ。
若い頃、人は思う。
成功するはずだった。
もっと自由に生きるはずだった。
しかし40代になると、それらの多くが実現しないことも分かる。
これがミッドライフ・ディップと呼ばれる現象だ。
ミッドライフ・クライシス(中年の危機)は本当にあるのか
よく聞く言葉がある。
ミッドライフ・クライシス(中年の危機)
だが実は、この言葉には誤解がある。クライシス(危機)というので、劇的な変化を想像しがちだが、研究によると、
仕事を突然辞める
衝動的に離婚する
浪費を始める
こうした大きな危機や変化を経験する人は、10〜20%程度とされている。
思っているほど多くない。
ミッドライフ・クライシスは静かな危機だ。40〜50代の中年期に「このままでいいのか」と人生の折り返し地点で感じる不安や焦り、心理的葛藤を言う。多くの人は、もっと静かに変化する。
その一つが、新しい趣味への没頭だ。
ランニング
登山
キャンプ
コーヒー
料理
蕎麦打ち
これらは一見バラバラだが、実は同じ役割を持っている。
人生を再設計するために必要なのだと思う。
人生後半の「アップデート」
心理学者ユングは、人生を午前と午後に分けた。
人生の午前は外側の世界を作る時間だ。
学歴
仕事
地位
社会的成功
しかし人生の午後になると、テーマが変わる。
外側ではない。内側だ。
自分は何が好きなのか。
何をしていると楽しいのか。
どんな時間を過ごしたいのか。
若い頃は、そんなことを考える余裕はない。
社会のレールを走るだけで精一杯だからだ。
しかし中年になると、ふと問いが出てくる。
このまま残りの人生を過ごすのか?
その問いへの一つの答えが、趣味の爆発だ。
走り始める。
山に登る。
コーヒーを淹れる。
スパイスを調合する。
蕎麦を打つ。
外から見ると少し滑稽かもしれない。しかし本人にとっては、人生のアップデート作業なのだ。
中年の趣味は「逃避」ではなく「適応」
こういう話をすると
「現実逃避だ」
「自己満足だ」
…と言う人もいる。
確かに、その側面はある。
自分も登山に行くとき、日常から逃げている感覚がないわけではない。
しかし長い目で見ると、これはむしろ健全な適応だと思う。
人間は環境が変われば、生き方も変える。
20代の生き方を、そのまま60代まで続けることはできない。
生き方を少しずつ変える。
スピードを落とし、
趣味を増やし、
楽しみを増やし、
誰かと分かち合う。
山を歩き、
ランニングや筋トレで自分と向き合い、
コーヒーを淹れて誰かと話す。
こういう時間は、若い頃には持てなかったものだ。
だから40代は、走り出す
もし40歳を過ぎて突然
ランニングシューズを買い、
キャンプ道具を揃え、
蕎麦粉をこね始めたとしても、
それは人生が壊れたサインではない。
むしろ逆だ。
人生の後半戦を、ちゃんと生きようとしているサイン
だと思う。
40歳を超えると、人はようやく
人生を自分の手に取り戻そうとする。
そしてその結果として、
なぜかみんな、だいたい同じことを始める。
走る
筋トレをする
山に登る
コーヒーを淹れる
スパイスカレーを作る
中華鍋を育てる
蕎麦を打つ
全部、一人でもできることだ。
理由はよく分からない。
だが、どうやらこれは人類共通のバグらしい😅
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