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中東情勢
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方法(全5冊) エドガール・モラン 法政大学出版局 1984〜2006 Edgar Morin La Methode 1977~2001 [訳]大津真作 編集:稲義人・藤田信行 ぼくは未来予想や予言があまり好きではないのだが、ずっと前から「20世紀は主題の世紀だったが、21世紀は方法の世紀になるだろう」と“予言”してきた。この“予言”は、量子力学のあらかたを展望した直後のウェルナー・ハイゼンベルク(220夜)が、「もはや方法を対象から切り離すことはできない」と書いたくだりを読んだときからハラが決まっていた時代メッセージだった。ずばり当たっていると思う。 ハイゼンベルクの「方法を対象から切り離すことはできない」というのは、「現象や内容すなわちコンテンツやコンテキスト」というものは、それを乗せたり運んだり切り出したりするハードウェアやソフトウェアの方法とともにある、ということだ。これは長らく「
グノーシス 異端と近代 大貫隆・島薗進・高橋義人・村上陽一郎編 岩波書店 2001 執筆:高橋義人・島薗進・上山安敏・鶴岡賀雄・竹下政孝・津田真一・佐藤研・村本詔司・稲垣直樹・鈴木雅之・山脇直司・久米博・的場哲朗・大田俊寛・高橋原・小林康夫・出村みや子・深澤英隆・加藤幹郎 装幀:司修 世の中、二択が多すぎる。二択ばっかりだ。たとえば戦争か平和か、都会か里山か(高層ビルか自転車か)、シャネルかユニクロか、バラマキか減税か、軍人か僧侶か(赤か黒か)、ロックか民謡か、民主党か共和党か、自然か人工か(アリストテレスかワイルドか)・・・・。こんなダイコトミーによる二択で世の動静を語ってきたから、ダメなのである。 AかBか、ではあるまい。編集するなら「A、BorC」である。AとBの攻めぎあいの間隙からふいに出現しうる「orC」がAとBの関係を読み替えるはずなのだ。そうあってほしいと思ってきた。そして、
リモノフ エマニュエル・キャレール 中央公論新社 2016 Emmanuel Carrère Limmonov 2013 [訳]土屋良二 編集:郡司典夫 装幀:細野綾子 協力:沓掛良彦 エドワルド・ヴァニアミノヴィチ・サヴィエンコ。政治名また筆名はエドワルド・リモノフ。 作家・政治家として知られる以前の謎と噂が囂(かまびす)しくて、実像がなかなか掴めない男である。面と向かってプーチンに対決できる唯一の男と言い立てられてからも、テロリスト、国籍剥奪者、カウンターカルチャリスト、ネオファシスト、パンクな革命家、自暴自棄の作家、最後のトロツキスト、単なるならず者などという、実情がさだかにならないレッテルばかりが先行した。ぼくが「遊」をつくっていた70年代後半では、ただ一言「赤いリモノフ」あるいは「ロシア・アナーキーのデヴィッド・ボウイ」と聞くだけだった。 先だっての2020年3月20日に亡くなっ
翻訳できない世界のことば エラ・フランシス・サンダース 創元社 2016 Ella Frances Sanders Lost in Translation 2014 [訳]前田まゆみ 装幀:文・イラスト/エラ・サンダース 描き文字/前田まゆみ デザイン/近藤聡 中野真希(明後日デザイン制作所) こんな気分をあらわす言葉がある。戸口に誰か来ているのではないかと期待して、ついつい何度も外に出てみることを、イヌイット(エスキモー)たちは「イクトゥアルポク」(IKUTSUARPOK) と言うそうだ。雪原の住まいに暮らしていて、誰かの「おとづれ」(音連れ)を感じる気分が極寒のイヌイットの日々にあることを知ると、なんとも深い溜め息が出る。まるで北極の複式夢幻能のようではないか。 高校時代、好きなカノジョにやっと手紙を書いたあとの数日後から、郵便箱にポトンと音が落ちる瞬間や、廊下の黒電話がチリンと鳴るの
腸と脳 エムラン・メイヤー 紀伊国屋書店 2018 Emeran Mayer MD: The Mind-Gut Connection- How the Hidden Conversation within Our Bodies Impacts Our Mood, Our Choeces and Our Overall Health 2016 [訳]高橋洋 編集:和泉仁士 装幀:水戸部功 先だって80歳になった。とくに白露清川の感慨もないけれど(むしろがっかりしているのだが)、スタッフをはじめ親しい者たちからは篤く傘寿を祝われ、ついつい来し方行く末を見つめることになった。 福岡の中野由紀昌組長が率いる九天玄気組からは松岡本をミニチュア化した造本群が吊り下げられた彩色豊かな花傘と「遊」とりかえばや版(「龍」に変じていた)が、名古屋の小島番器の面影座一同からは謎のようにデコレーションされた長い白
日く、突きは重く、打ちは鋭い。曰く、ブルース・リーのジークンドー(戴挙道)の構えはフェンシングに近い(後ろ足の踵を浮かす)。日く、脇を締める空手の正挙、脇を空けて腕を回すボクシングのフック。曰く、合気道は問合いを奥に引き、詰めを外す。 曰く、耐える筋肉と攻める筋肉は別である。日く、キックボクサーの蹴りは野球のバットの振りをはるかに上回る。日く、中国武術や日本の古武道は「気」の動向にプラマイの陰陽を付けまくる。日く、イチローの打法は二重振り子だ。日く、強打のためには挙(こぶし)と手首と腕を連続的に捩る必要がある。 日く、あらゆる打撃は「力積の物理」にもとづく効能で説明できる。曰く、剣道の握りは左右の手を互いに逆向きで締める。曰く、僅か3センチの間(ま)で相手を打撃する寸勁(すんけい)こそ武術の極意だ。曰く、筋トレでは「動かす」よりも「止め」を鍛えるべきである。曰く、アメフト型のボブ・サップの
数学を哲学する スチュワート・シャピロ 筑摩書房 2012 Stewart Shapiro Thinking about Mathematics―The Philosophy of Mathematics 2000 [訳]金子洋之 編集:海老原勇士 装幀:小倉利光 花が好きな子と虫が好きな子は仲が悪かった。どちらが花でどちらが虫とは言わないが、数学好きと哲学好きにもそんなところがある。数学派は問題を解けるのが嬉しくて、その領分をうろつくようになり、哲学派は問題を作るのが好きになって、その界隈で蹲るようになった。 哲学にとって数学の何が魅力的に見えるのかという問題は、あまり本気で考えられてこなかった。哲学研究に数学が介入し、数学者たちが哲学からヒントを得ることは多々あったけれど、この二つががっぷり四ツに組んで、大向こうを唸らせる大相撲や格闘技を見せたということは、ゲーデル(1058夜)の登場
そのころのわが家は呉服屋だったから、家中にそろばんが幾つもあった。大きな五つ玉は鬼の子分が履く下駄のようにごっつくて、重かった。ついついスケーターのように片足をのっけて一、二歩滑ってみるのだが何度も転び、そのたびに叱られた。 父は五つ玉を太い指で操っていた。「二一天作の五、二進が一十」(にいちてんさくのご、にしんがいっし)などと割算九九の二の段をぶつぶつ呟きながら、そろばん片手に伝票を繰ったり帳簿を点検しているのを見ていると、時代劇に出てくる帳場の番頭のようだった。 五つ玉にくらべると、学校で買わされた四つ玉はスマートで、どこか女の子ぽかった。ラジオではトニー谷というヴォードヴィリアンが片手に持ったそろばんを楽器のように鳴らしながら、「さいざんす、さいざんす」と笑わせて大当たりしていた。 昭和30年(1955)がぼくの11歳である。下京の修徳小学校や中京の初音中学校に通っていた。当時の小中
クィア神学の挑戦 工藤万里江 新教出版社 2022 編集:小林望・堀真悟 協力:西原慶太、ミラ・ゾンターク 装幀:今垣知沙子 この数十年のあいだ、キリスト教の活動のなかでLGBT神学やクィア神学に果敢に挑戦した試みがいくつもあった。いまなお脈動している。そこでは「キリスト教はもともとクィアだった」「神をエロティックに捉えたい」「バイ・キリストのための下品な神学があっていいじゃないか」といった大胆な提案などが躍ったのである。どうしても紹介しておきたい。 著者は同志社大学神学部出身で、立教大学大学院で本書の原型になるクィア神学についての博士論文を書き、いまは明治学院や立教で教えている。本書がデビュー作だ。その素材になった何冊かの個別の類書はあるものの、ここまでうまくまとまってはいないので、採り上げた。代表して3人の女性が採り上げられている。 アメリカ聖公会の初の女性司祭となったカーター・ヘイワ
性のペルソナ 古代エジプトから19世紀末までの芸術とデカダンス カミール・パーリア 河出書房新社 1998 Camille Paglia Art and Decadence from Nefertiti to Emily Dickinson 1990 [訳]鈴木晶・浜名恵美・入江良平・・富山英俊 ★★数年に1冊、こういう官能的クロニクルを自在な下敷きにしたデモーニッシュな表象史をめぐる情報解読の試みに出会うと、しばらく刺激に見放されて死にそうになっていた当方の思想臓器が嬉しそうに起動する。 原題は『セクシャル・ペルソナ』。元の副題は「アートとデカダンス:ネフェルティティからエミリー・ディキンソンまで」。大著だ。カバーにも、古代エジプトの王妃ネフェルティティとアメリカの前衛詩人ディキンソンの半分ずつの顏が出会った写真があしらわれていた。 中身は古代彫像から近代文学に及ぶ代表的なセクシャル・ペ
20世紀言語学入門 現代思想の原点 加賀野井秀一 講談社現代新書 1995 編集:渡部佳延 協力:若桑毅・宇波彰・末広優子・赤間恵美・日高美南子 装幀:杉浦康平・赤崎正一 われわれは「言葉をもったサル」だ。また「言葉にふりまわされてきた動物」だ。赤ちゃんが幼児となり子供となるにあたっても、言葉は決定的な役割をもつと思われてきた。「うちの子はまだ喋らないので、心配なんです」と気にかける母親には何人も会った。けれどもその子が喋っていないからといって、その子の意識や気持ちに言葉が動いていないかどうかはわからない。長じて言葉が闊達になった子はたくさんいるし、蹲っていた言葉がのちに小説家やマンガ家の素質として開花した例も少なくない。 言葉がわれわれにもたらしているものは、外に洩れた光のグラデーションの具合からすればそうとうに広くて多様なのだろうが、影や闇になっている領域にも深く及んでいるとも思われる
思考と言語(新訳版) レフ・セミョノヴィチ・ヴィゴツキー 明治図書・新読書社 1962・2001 Lev Semenovich Vygotsky Thought and Language 1934 (1962英訳) [訳]柴田義松 編集:明治図書編集部(初期編集) 装幀:藤森瑞樹 【心理学のモーツァルト】 ヴィゴツキーは僅か十年ほどのあいだに、芸術や表現や学習や教育にひそむラディカル(根っこ)にとりくんだ。またたくまに多くの学芸を横断して新たな心理学に方向を与え、斬新な学習理論を組み立て、結核を拗らせて37歳で夭折した。 天才肌だった。そうだろうと思う。ただ、いまでこそ「心理学のモーツァルト」と賞賛されて天才扱いされているけれど、当時のソ連のアカデミーはその先駆的業績を無視し(唯物論的ではないという理由で)、ヴィゴツキーの娘たちすら父親が偉大であることを知ってはいなかった。彼女たちは、父の
最澄と天台教団 木内堯央 教育社・講談社学術文庫 1978・2020 編集:尾上進男・芝盛雄・小川悦子・梶慎一郎 協力/笠原一男 装幀:森裕昌 奈良博の《久隔帖(きゅうかくじょう)》を今井凌雪さんと見た。NHKの書道講座をお手伝いしていたころだ。尺牘(せきとく)は「久隔清音 馳恋無極傳承 安和且慰下情」と始まる。 いつものことながら、すぐに「恋無極」の字配りに目が吸い込まれていく。王羲之(おおぎし)の《集字聖教序》が見せる勁(つよ)いけれども懐ろが柔らかい間架結構が、最澄の書では端正なストロークやピッチに転じて律義になっている。そんな感想を呟くと、今井さんは「いやあ、伝教大師の書は王羲之より誠実ですよ。懸命ですよ」とボソッと洩した。 なるほど誠実で懸命である。筆と言葉と意味とが一字ずつきっちりと詰まって、そのまま乱れない。端正で、行儀がよく、そこがたしかに懸命だ。懸命が端正なのか、端正が懸
出定後語 富永仲基 隆文館 1982 編集:京戸慈光 訳注協力:佐伯真光・広池利三郎・伊藤成彦 協力:多田厚隆・関口真大・長沢実導・壬生台舜・塩入良道・石上善応 【知と編集】 大雑把にふりかえって申し上げると、ぼくは空海(750夜)の『三教指帰』(さんごうしいき)と富永仲基(とみなが・なかもと)の『出定後語』(しゅつじょうこうご)によって、「日本人の知」というものがどのように醸成されるべきか、錬磨されるべきか、編集されるべきかということをあらかた掴んだと思っています。この2冊をあまり時をあけずに読んだことで、何かがピンときた。 2冊ともに若い空海と仲基が一気呵成に書いたもので、日本人が海外思想を受けるときに使うべき「思考の型」はどんなものがいいのか、どんな「知の苗代」を用意していけばいいのか、二人はそこを追った。ここで言う海外思想とは、儒教・仏教・道教というインド・中国・朝鮮半島・アジアか
いささか甘酸っぱい思い出から話してみたい。大学3年の秋だったか、Kという美しい女優さんから「オーブツミョーゴー」という用語が洩れたのである。新宿文化アートシアターで演っていたウェスカーの『キッチン』を観た帰りだった。 デートをしてそうなったのではなく、大学新聞のためのインタヴューに行ったところ、その話がおわると「ねえ、これからお芝居を観るんだけど、行かない?」と誘われたのだ。彼女は連続テレビドラマのヒロインに抜擢されて人気を博した俳優座出身の女優さんで、すでによく知られていたが(だからインタヴューに行ったのだが)、そんな美女からのよもやのお誘いなのである。ジンセーにはこういうこともおこるのかと少しくらくらした。 けれどもとても話好きで、どうもあまりロマンチックではない。最初はいま見た芝居の話、次は日本の新劇の話、それから「あなたは学生運動をしているんでしょ」と言ってちらちら日本の将来や改革
明恵上人集 歌集・夢記・伝記・遺訓 明恵 岩波文庫 1981 編集:【校註】久保田淳・山口明穂 協力:葉上照澄・築島裕・奥田勲・益田宗・大曾根章介 小さい頃から仏眼仏母を祈っていた上人。文覚に気にいられた上人。夢日記を綴る上人。歌詠みだった上人。栂尾に植えたお茶を飲む上人。天竺に渡りたかった上人。自分の耳を切って無耳法師を嘯く上人。松の樹上で座禅をする上人。華厳密教を編みたかった上人。北条泰時が慕っていた上人。 いろいろの明恵上人がいるが、これらを足しあわせても上人像は容易に結像しない。どこかシュールすぎていた。こんな話が伝わっている。 栂尾の上人が入唐渡天を志し、しばしの暇乞いのため春日神社に参ると、一人の翁に出会ってこんなことを言われた。釈迦在世の頃ならば天竺に渡るのもいいだろうが、いまさら仏跡を尋ね歩いて何になる。志があるのなら春日の山が霊鷲山になり、比叡が天台山となり、吉野筑波が五
先週、小耳に挟んだのだが、リカルド・コッキとユリア・ザゴルイチェンコが引退するらしい。いや、もう引退したのかもしれない。ショウダンス界のスターコンビだ。とびきりのダンスを見せてきた。何度、堪能させてくれたことか。とくにロシア出身のユリアのタンゴやルンバやキレッキレッの創作ダンスが逸品だった。溜息が出た。 ぼくはダンスの業界に詳しくないが、あることが気になって5年に一度という程度だけれど、できるだけトップクラスのダンスを見るようにしてきた。あることというのは、父が「日本もダンスとケーキがうまくなったな」と言ったことである。昭和37年(1963)くらいのことだと憶う。何かの拍子にポツンとそう言ったのだ。 それまで中川三郎の社交ダンス、中野ブラザーズのタップダンス、あるいは日劇ダンシングチームのダンサーなどが代表していたところへ、おそらくは《ウェストサイド・ストーリー》の影響だろうと思うのだが、
江戸学は三田村鳶魚(みたむらえんぎょ)に始まった。 鳶魚は明治3年の生まれで、闊達な八王子の同心気質や実家の織物屋に育って、洒落たものが好きだったとおぼしい。世の中の変化に関心があったようで、やがて自由民権運動にかかわったり、日清戦争の従軍記者をしながら、「風俗画報」に関東各地の地方史伝など書くようになった。 ついで三宅雪嶺・井上円了・杉浦重剛の「日本及日本人」創刊とともに、率先してコラムや連載を担当すると、しだいに江戸趣味に傾いていく。 性分に合っていたのだろうと思う。その中身は、江戸社会にまつわる生活・文化全般・趣向・サムライ稼業、職人仕事・言いまわし・事件の数々、芝居、粋なお遊び、ヤクザの習慣・多彩な人物伝、犯罪ドキュメント(捕り物)そのほか、トリヴィアルなことをふくめて、なんでもござれだった。 だから、鳶魚による江戸に関する膨大な拾遺と考察がのちのちの江戸学の礎石になったわけだが、
ヴィジョナリーズ 23人のファッションデザイナーたちの哲学 スザンナ・フランケル Pヴァイン・ブックス 2005 Susannah Frankel Visionaries―Interviews with Fashion Designers 2001 [訳]浅倉協子・谷川直子・長岡久美子・春宮真理子 編集:荒木重光 協力:トランネット 装幀:有馬芳信 サン・ローランは「後悔していることは?」と問われ、「うーん、デニムを発明しなかったことかな」と答えた。ゴルチェは「ファッションは時にファシストになるようなもの」と言い、そのころまだ生きていたアレキサンダー・マックイーンは「自分の才能の根源ってどこにあると思いますか」と訊かれて、イーストエンド訛りで「それってマジで聞いてんの」と返した。 いっときティエリー・ミュグレーやカステルバジャックが「アート」と呼ばれていた。ある日本人から「ファッションは芸
ユーラシアニズム ロシア新ナショナリズムの台頭 チャールズ・クローヴァー NHK出版 2016 Charles Clover Black Wind, White Snow―the Rise of Russia's New Nationalism 2006 [訳]越智道雄 編集:松島倫明・塩田知子 協力:小林丈清・奥村育美・加賀雅子 校閲:酒井清一 装幀:岡孝治 ロシア軍のウクライナ侵攻から2ヶ月がたった。激越、空威張り、避難、いとけない、無残、途方に暮れる、空爆、もうやめて、相互制裁、塹壕、苛酷、かけひき、都市崩壊、悲鳴、残骸、パンと水、虚妄、戦場記者、難民‥‥。 トルストイやレマルクの文学作品の中にひしめく言葉の大半がたった2ヶ月で閃光のようにとびだしてきた。こんなに戦争渦中の被弾状況がつぶさに報道されることは、ベトナム戦争や湾岸戦争やチェチェン紛争の時にはなかったことである。 ゼレンス
日本のことを本気で考えるなら、天皇や皇室についての議論はとうてい避けては通れない。ぼくの場合は、学生時代に折口信夫(143夜)の強い影響で「天皇の日本史」に関心をもったのが、しばらくのあいだの天皇観の原点になっていた。一言でいえばミコトモチの歴史とは何かということだ。 高校時代、登山部の親友にハッパをかけられて頼山陽(319夜)の『日本外史』を共読して以来、日本の「王朝」とは何だろうかということがずっと気になっていた。学界では王朝ではなくてやたらに「王権」(kingship)という言い方を好むけれど、それではローマ皇帝やルイ14世の王権神授説めいて日本にあてはまるようには思えず、ぼくはむしろ「王朝」(dynasty)というニュアンスで日本に断続してきた天皇をめぐるイデアの歴史を眺めていた。このイデアは日本の「理念」なのか、それとも都合のよい「観念」にすぎないのかということをあれこれ考えたの
フランツ・リストは なぜ女たちを失神させたのか 浦久俊彦 新潮新書 2013 編集:横手大輔 協力:菊地洋子・石井尚 装幀:矢野徳子 村上春樹の『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』(文芸春秋 2013)を店頭で見て、ふうん今度はこう来たか。「多崎つくる」って何だ? 色鉛筆じゃないよな、主人公の名前なのか、何かのアイロニー? 「巡礼の年」はあれだな、 ビーチボーイズ(風の歌を聴け)、ビートルズ(ノルウェイの森)以来ずっとこの手で、『海辺のカフカ』はシューベルトだったけど、今度は浪漫派のリストで来たのかなどと思い、パラパラとページをめくった。買いはしなかった。 まもなくいつものようにハルキスト現象がおこり、ラザール・ベルマンの輸入盤CD《巡礼の年》が売り出されて、ちょっとした話題になっているというニュースを聞いた。ピアノ独奏曲集だ。ベルマンは70年代のロシアを代表するヴィルトゥオーソで
弓と禅 付(講演)・武士道的な弓道 オイゲン・ヘリゲル 角川ソフィア文庫 2015 Eugen Herrigel Zen in der Kunst des Bogenschiessens 1948 [訳]魚住孝至 編集:伊集院元郁 序文:鈴木大拙 装幀:谷口広樹 師が言った、「それが射るのです」。また「それが満を持しているのです」と。私は思わず尋ねた、「それとは誰ですか、何なのでしょうか」。 ヘリゲルが師からいったん破門され、ふたたび弓の稽古に通うようになったときのある日の場面だ。それまでの一年半ほどの弓の稽古で、ヘリゲルはいつも的(まと)を射ることしか眼中になかったのだが、師はたえず「的を中(あて)ると思わないように」と指導していた。それがヘリゲルにはまったく納得できず、師から厳しく咎められていた。ところがその日の稽古では、師が「それです」「それが射るのです」と言ったのである。 「それが
作曲家もいれば、経営者もいる。学生も医者もアイドル・ママもいる。カレー屋も来るし、市役所勤めも来る。とくにSEやプログラマーが多い。イシス編集学校の花伝所で師範代をめざす面々だ。 このところ数期にわたって花伝所の花目付(教頭役)を担当している深谷もと佳は、ふだんは小田原のベテラン美容師さんである。しばしば美容師ならではのプロフェッショナルな「わざおぎ」の話を例に出して、編集術の極意を解く。 編集術の説明に長けているだけでなく、本業の手際もいいようだ。ぼくの髪が伸びたのを見かねて(ぼくのアタマはいつも茫々していて、それなのにほったらかしなのだが)、ハサミ片手に本楼に出張すると、手際よく捌いてお手並みを見せてくれた。聞けば、編集学校の師範や師範代が何人も小田原に行ってカットしてもらっているという。 深谷が最初に師範代になったときの教室名は「FMサスーン教室」だった。サスーンは鬼才サスーンのこと
天と王とシャーマン 天に思いを馳せる支配者たち エドウィン・C・クラップ 三田出版会・出版文化社 1998 E.C.Krupp Skywatchers, Shamans & Kings―Astronomy and the Archeology of Power 1997 [訳]田川憲二郎 編集:林美樹 装幀:福田和雄 最近、アメリカで「nones」(ノンズ)という言葉が動き出している。ミレニアルズ層を中心にバズっているようだが、その多くが無神論者や不可知論者たちで、その数は全米のカトリック人口に迫っているらしい。2021年には宗教社会学者ライアン・バージの“The Nones”という本が話題になった。 かつて教会主義者のあいだではnonesはやや侮蔑をこめてノーネスと発音されていた。それがいまではノンズだ。「ない派」「なし派」とでも訳せるか。かれらは教会には行かないのに、スピリチュアルには
神は、脳がつくった 200万年の人類史と脳科学で解読する神と宗教の起源 E.フラー・トリー ダイヤモンド社 2018 E.FUller Torrey Evolving Brains,Emerging Gods―Eary Humans and the Origins of Religions 2017 [訳]寺町朋子 編集:木下翔陽 装幀:bookwall モンテスキューは「もし三角形に神がいたのなら、神には三辺があったろう」と言った。神や神学を揶揄しているようでいて、その本質を突いたうまい言い草だ。ぼくは自転車屋のイノダのおじさんから古いサドルをもらって、これを京都中京の天井が低い2階の部屋にたいせつに飾っていたことがある。ロバチェフスキー型の空間曲率をもった立体三角の神さまだった。神に三辺があったって、おかしくはない。 ダーウィンのノートには「宗教についてかなり考えた」という有名な覚え書
ヴェネツィアで見て、バーゼルで買う。 これが現代アート業界の合言葉だ。ヴェネツィア・ビエンナーレで品定めをし(隔年開催)、アート・バーゼルでめぼしい作品を手に入れる(毎年開催)。2つのフェアの開催地と開催期が近いこともあって、いつのまにかここにアートビジネスのグローバルな日付変更線だか変動相場制だかが、賑やかに、曰くありげに、生き馬の目を抜くようにできあがっていた。 ヴェネツィア・ビエンナーレは国単位で出展される。各国のパビリオンには毎年コミッショナーやディレクターが選ばれてコンセプトやテーマを設定し、それにふさわしいアーティストたちが制作にあたる。一方のアート・バーゼルには世界中の300近いトップギャラリーが参加するが、招待状がなければ入れない(いまはアート・バーゼル香港、アート・バーゼルマイアミ・ビーチもある)。 どちらも画商とお金が動くが、むろんそれだけではない。アーティストも批評家
エゾテリスム思想 西洋隠秘学の系譜 アントワーヌ・フェーヴル 白水社(文庫クセジュ) 1995 Antoine Faivre L'ésotérism 1992 [訳]田中義廣 編集:山本康 協力:ミシェル・ルーヨ 吉永進一 装幀:田淵裕一 本書は、オカルトっぽいこと、たとえばテレパシー、瞑想、こっくりさん、超常現象、ナスカの地上絵、手相、UFO、スーフィズムなどを、一緒くたに神秘主義的なものと思う安易な向きが少なくないようだけれど、これは訂正したほうがいいという本です。神秘主義は他のさまざまな思想と同様、それなりに厳密なのですよ。ただその厳密さが、他の思想の解読法とはちがっている。 神秘主義のことをギリシア語ではミスティーク(Mystik)、英語ではミスティシズム(mysticism)といい、神秘主義思想のことをフランス語ではエゾテリスム(ésotérisme)、英語ではエソテリシズム(e
グノーシス 古代末期の一宗教の本質と歴史 クルト・ルドルフ 岩波書店 2001 Kurt Rudolph Die Gnosis 1977・1990 [訳]大貫隆・入江良平・筒井賢治 編集:中川和夫 装幀:司修 光があれば影がある。善があれば悪があり、正なるものがあれば負なるものがある。光と影は対比され、正と負とは別々の方を向く。ときに華厳思想や陰陽道のように陽なるものと陰なるものが相反しながら絡んでいるばあいもあるが、世界はたいていポジティブとネガティブとに、進歩と退嬰とに、勝ちと負けとに分別されている。 これを破ってきたのは長らく各地各民族の説話や文芸やメルヘンくらいのものだった。それでも砂男(ホフマン)やマッチ売りの少女(アンデルセン)が主人公になるには近代まで待たなくてはならなかった。 世界の歴史の大半は正から邪を眺め、正統が異端を戒めるというふうに進んできた。いや、そのように後付け
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