名前を隠して楽しく日記。
すべての職業に「強制クォータ制」を導入すべきだよな。建築現場とか廃棄物処理とか、いわゆる「3K職場」の男女比率があまりにも男性ばかりに偏ってるもの。
女性が足りない場合は徴兵制のように国家が強制的に徴用して連れてくるか、もしくは「女性と同人数しか男性の雇用を認めない」としてその産業自体を成り立たなくして社会の皆が困る状態にして同調圧力を強めるかして、あらゆる職業で男女同数のクォーター制にすべき。
人間の裁量(その場しのぎの判断)を信じるか、不変のルールを信じるかという違い。
k%ルールとインフレターゲット、一見似ているが、何を目標にするかが根本的に違う。
インフレターゲット(裁量)は「物価を2%にする」という結果を目標にする。物価が上がらなければ、中央銀行は「もっと刷らなきゃ!」と焦って通貨を大量投入。これは、状況を見てアクセルを踏む「運転手(人間)」の判断に依存しているから「火遊び」と言われる。
k%ルール(自動操縦)は 「通貨量を毎年k%増やす」という手段(ルール)を固定。物価がどうなろうと、景気が良かろうと悪かろうと、機械的に増やす。
中東有事で石油供給が減り、物価が一時的に5%上がったとする。
インフレターゲットなら 「目標の2%を超えた!引き締めだ!」と急ブレーキを踏み、経済を冷え込ませる。
k%ルールなら 「供給ショックは一時的なノイズだ。ルール通りk%増やすだけ」と静観。
結果的に、市場は「中央銀行が余計なことをしない」と確信できるため、長期的な予測が立てやすくなり、物価も安定する。
第一に国内の購買力の安定。100円で買えるパンが、来年も再来年も経済成長の範囲内で同じように買えることを指す。
為替については、裁量介入のない変動相場制が重要。国内の通貨量をk%ルールで固定していれば、為替レートは市場の需給に任せて勝手に動けばよいと考える。
無理に為替を安定させようとして介入するのは、国内の通貨量を狂わせる。
では、中央銀行はk%ルールだけでいいのか?それだけでいい。むしろ、それ以外はするな。
安定のために「金利をいじろう」「為替を操作しよう」「財政出動しよう」と欲張るから、経済のシグナルが混乱し、インフレや不況が増幅される。
中央銀行の仕事は、経済に通貨を、一定のペースで淡々と送り続ける役に徹すること。余計な感情や政治的意図を排除した自動操縦こそが、自由な市場を最も効率的に機能させる唯一の道である。
頭悪いからよぉ
「マネタリーベースを経済成長に合わせて一定の率で淡々と増やす(k%ルール)」が「火遊びはやめろ、通貨の価値を安定させることだけに集中しろ」が全くつながらないんだけどな
k%ルールも結局インフレターゲットを言い換えてるだけちゃうの?って思うんだが具体的な想定例をもとに何がどう違うのかを説明していただけますか
あと、通貨の価値の安定は何を指して言っていますか、国内だけですか?為替を含みますか?
安定のためにはk%ルールだけ考えておけばいいんですか?
なんかポエムを歌い出したのでもう終わりな。
女子高生が同級生のイケメンとかならともかく、ジジイからのセックスの誘いを断るのには難しい要素は何もなくないか?
理解できないんだよね。
誘われた時点で嫌な思いをしたから十分に被害だというなら分かるんだけど(自分も本当に気持ち悪かったしトラウマ)、応じておいて嫌でしたは通らなくない?
Claude止まってない?
お前は「短期的な痛み」と「政治的な弱さ」を混同しており、まさにそれこそが経済を停滞させる元凶。
まず、生産コストの固定や減産による調整についてだが、企業が価格を下げずに生産を減らせば、当然ながら失業が発生し、景気は後退する。
しかし、その「不況」こそが市場の過剰なコスト(実質賃金)を適正水準に引き下げるための不可欠な調整プロセスである。
もし政府がその痛みを嫌って通貨を供給すれば、価格体系の歪みが温存され、結果としてより巨大なインフレという怪物を育てることになる。
供給量が変動しても、貨幣量を一定に保てば、長期的には必ず物価の安定へと収束する。
次に「政府はインフレ退治だけを考えていればいいわけではない」という点だが、これこそが「裁量的政策」の罠である。
政府が景気や雇用を操作できると過信し、通貨供給を手加減した結果、1970年代のスタグフレーション(不況とインフレの同時進行)という大失敗を招いた。
こういった理論が「実用性がない」ように見えるのは、それが政治家にとって「何もしない」という忍耐を強いるから。
しかし、歴史が証明しているのは、政府が「良かれと思って」行う景気刺激策こそが、長期的には経済の不確実性を高め、国民の資産をインフレで溶かしてきたという事実。
中央銀行の唯一の聖域は「通貨価値の安定」であるべきであり、それ以外の目的(雇用や政治的配慮)を混ぜることは、羅針盤を壊して航海に出るようなものである。