はてなキーワード: 悲惨とは
ゲイのセックスはテイカーがタチ側にもなればウケ側にもなる特殊な関係だと思う。
普通なら女性側がエスコートを受ける=受け側を丁重に扱うべき。
多分普通の人ならこう考えると思う。
ウケの人口が多すぎてハッテン場やそういうコミニュティーではウケの飽和が起きている。
だからタチ側が基調だと考える人が多い。(色々なサイトを見てみればわかるがリバがほぼウケだという業界常識を当てはめると7割ウケだ)
じゃあゲイはみんなウケがタチの顔色を伺うかというかというと例外がある。
通常のセックスとは違いゲイのセックスには洗浄と拡張が存在する。
気持ちよさを求め仕事中も拡張のためにプラグを挿入しておいたり、合間にワセリン等のケア剤を入れ清潔にし再度挿入等を行わないと相手が相当小さくもないかぎりプレイに耐えられず怪我をする。
殆どの場合ゲイは性欲が強く男性特有の探究心がありこれらは問題ない。
※性別適合手術 (Sex Reassignment Surgery)
SRSをせずセックスをするということはアナルセックスが基本となる。
しかしながらMTFの多くは抗アンドロゲン剤や女性ホルモンを外部から摂取するためホルモンバランスが女性ホルモンに偏る。
これが影響し性欲が著しく低下し女性化する前であったらドキドキ・ワクワクでやってたであろう拡張への興味が薄れセックス自体を望まなくなる。
もしやろうとしても拡張や洗浄がありやる気がわかず流れてしまう第二の壁がある。
そればかりか男性は自分自身にそこまでの手間を負う人間ではない、自分には魅力がないと思ってしまい酷く落ち込みそれがストレスとなる。
※普通の男性はセックスができないと分かったときの終電前の二人きりの飲みを想像してほしい。
しかしMTF側はパートナーの存在という安心感からより男性としてではなく親友や家族としての認識が強まりどんどんセックスが遠のく。
MTF同士のゲイ(レズ)カップルも多いがこれは両者ともに性欲減退が強く成立しやすい。
読んでいる人はわかるだろう。私はMTFと付き合っている純男当事者だ。
これがエゴという人もいれば、相手をオナホとしか見てないと思う人もいるだろう。別に何だっていい。
私はこの状況がひどく辛いのだ。共感する人がいれば嬉しい。
この意見は「零細企業では権力集中によりハラスメントが起きやすい」という点では一定の現実を反映しています。しかし「社会の下層=低学歴=地獄」という一般化は事実として過度であり、論理的にも社会学的にも問題があります。
【根拠】
まず妥当な点として、組織規模とハラスメント発生率の関係は一定程度の研究で示されています。日本の労働調査や労働局の相談統計では、従業員数の少ない企業ほど内部統制(人事部・コンプライアンス部門)が弱く、経営者や古参社員に権力が集中する傾向があります。そのため「50代の上位者が全権を握る」「私生活まで干渉する」といった封建的な人間関係が残るケースは実際に存在します。この点で、投稿者が感じた「江戸の長屋の大家と住人」という比喩は、近代的な企業制度よりも共同体型の人間関係に近いという意味では一定の説明力があります。
一方で、この意見の大きな問題点は原因の単純化と階層決めつけです。
社会の下層と言われる層で過酷な労働環境が多いのは事実として傾向はありますが、「だからね」で片づけるのは、構造的な問題(法令違反、人権侵害)を自己責任に押しつける雑な一般化です。
ハラスメントはどの階層・業種でも発生しうる問題であり、「下層だから仕方ない」とする見方は、被害者に対する二重の負担(環境+スティグマ)を与えます。
高学歴で大企業に入っても、パワハラ・セクハラ・アカハラ等の被害率が低くなるとは限らず、むしろ研究機関や大組織でもハラスメント経験の高さが指摘されています。
大企業・高学歴層でも、上司との力関係や長時間労働、評価・昇進を握られている構造の中では、決して「フェアな世界」が保証されているわけではありません。
学歴や企業ランクによる上下の固定観念を強化しており、「下にいる人は苦しんで当然」という発想は、差別的であり、政策的にも社会的にも危険です。
現代日本では、非正規雇用の拡大や格差の固定化が進み、「努力さえすれば上に行ける」というほど流動性は高くなく、家庭環境や健康、地域差など、個人の努力ではどうにもならない要因が大きく影響しています。
劣悪な労働環境や違法なハラスメントの存在は、制度設計や法執行、企業統治の問題であり、本来は「是正すべき社会的課題」です。
それを「勉強して一流企業に行けなかったお前が悪い」とするロジックは、加害側・加担側に都合がよい自己責任論で、構造的な改善(行政指導、法令遵守、相談窓口の整備など)を阻害します。
つまり、「低学歴だから地獄」という説明は統計的裏付けが弱く、組織設計の問題を個人属性に転嫁している点が論理的に問題です。実際には大企業でもパワハラ・セクハラは多数報告されており、むしろ問題が隠蔽されるケースもあります。
【注意点・例外】
ただし現実として、大企業のほうが制度的な安全装置(労組・コンプライアンス窓口・内部通報制度)が多いため、平均的な労働環境は安定しやすい傾向があります。このため「制度的安全性」という意味で大企業志向が合理的という部分はありますが、それは学歴ではなく企業規模とガバナンスの問題です。また零細企業でも経営者の価値観が近代的であれば非常に良い環境の会社も存在するため、単純な階層化は現実を歪めます
他のチームがレースのために走る中、アストンマーチン・ホンダだけはレース中にテストのための走行を実施。
まるっきり駄目な週末だが、それでも状況があまりにも悲惨すぎて、ただ走れただけでも物事が前進しているという希望を抱くほど。
もちろん客観的な視点に立てば、お話にならないのは言うまでもない。
現状は、まともに走れない → なんとか走れるようになった、と改善を実感できているから関係者の気持ちもやや上向きなのだろうが、
なんとか走れるようになった→本当にただなんとか走れるだけ、という現実を直視して失望することになるのだろう。
フットワークの軽いローレンス・ストロールがメルセデス、フェラーリあるいはアウディと交渉を始めていても何も不思議ではない。
最初に断っておくが、これは統計に基づいた社会学的な分析じゃない。
ただの低学歴な増田が、インターネッツと日常会話から得た、極めて雑で偏見に満ちた観測に基づくお気持ちだ。
ただただ今の日本に漂う戦争観のねじれが気味が悪くて仕方ない。
現在のきな臭すぎる世界情勢と、日本政治を巡るあれこれへのフラストレーションを整理するために、俺の思う日本人の戦争観をちょっと書いてみる。
よく中韓の人が日本批判の文脈で「日本人は戦争を反省していない」と言うが、それは半分正解で半分は外れていると思う。
中韓では知られていないのかもしれないが、実は日本はわりとガッツリ子供に敗戦の教訓を浴びせて育てる国だ。
戦争は悲惨で、平和が一番で、二度と繰り返してはいけないとかなんとか。
問題はその中身だ。
日本で流通している戦争の語りは、主役である善良な庶民が、悪い軍部や国家あるいは「戦争という化け物」そのものにひどい目に遭わされた話に終始している。肝心な部分を抽象化して誤魔化しているわけだ。
戦時下の抑圧、徴兵、空襲、原爆。それ自体は否定しようのない事実だし、悲劇だ。
しかしそればかりをリピート再生するだけでは、決定的なパーツが抜け落ちたままだ。
日本はなぜあんな狂った戦争を始め、どこへ行って何をしようとしたのか。
占領地で誰を殺し、誰の尊厳を踏みにじり何を奪ったのか。ここが驚くほど空洞になっている。
現代社会を生きる多くの日本人にとって、第二次世界大戦は、軍部というモンスターが突如暴走して可哀想な庶民が巻き込まれた不可抗力の災害として処理されている。
もっと雑に言えば「かわいそうな日本人の体験記」としてしかパッケージ化されていない。
これらの帰結として、日本は追い詰められて戦わざるを得なかった被害者であり、英霊は国を守るために散ったという、驚くほど自分勝手な認識にたどり着いてしまっているケースが散見される。
そりゃ末期になれば本土空襲も沖縄戦もあった。その局面だけ切り取れば攻め込まれたのは事実だろう。
しかしその前に日本軍がどこで何をしていたかをスキップして、「我々もつらかったんだ」で話を閉じるのは、あまりにも都合がよすぎる。
この手の被害者意識としての反戦は、教育だけではなく娯楽作品でも延々とアップデートされている。
たとえば『あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。』とか、まさにその典型だと思う。
そこで描かれるのは、時代に翻弄された純粋で優しい若者たちだ。
彼らがなぜそこに立たされていたのか、その死がどれほど組織的で無残な敗戦処理だったのかという構造より、こんなに優しい子たちが死ななきゃいけなかったなんて、戦争は残酷というお涙頂戴が前景化する。
観客が回収するのは侵略戦争の末路ではない。愛し合う人々を切り裂く戦争はダメという極めてパーソナルで消費しやすい感情と、彼らが命がけで“守って”くれた日本を大切にしなければならない、という異次元から突如湧き出るピュアなナショナリズムだ。
「加害」という面倒くさい政治認識をスルーして感情だけで泣けるから、この手の物語は若者にもバズる。
(この項目で引き返そうとした奴いるだろ、せめて最後まで読め)
この「庶民がかわいそう」で止まっている反戦は、実は国家にとって一番扱いやすい。
なぜなら、庶民がひどい目に遭わないシステムさえ提示できればいくらでも軍事化を肯定できてしまうからだ。
この定番文句を添えるだけで、かつての加害の歴史にブレーキをかけるはずの反戦は、あっさりと国防として回収される。
だから俺は高市のような強い安全保障や国家の誇りだのなんだのを掲げて威勢のいいことを言い出す権力者に強い警戒心を抱く。
最近のニュースを見ていると、ああいう連中が掲げる景気の良い甘言に対して反射的に身構える土台がこの国にはもう残っていない気がして、なんだか絶望的な気分になる。
日本人は、戦争を侵略と加害のシステムとしてではなく、一般市民が不幸になる不可解なイベントとして理解している。
分析が甘いから、再発防止策も「平和を祈る」みたいなフワッとした精神論で終わる。
どうせまた清潔な広報と気持ちいい言葉をまとった権力に、驚くほど簡単に流されるんだろう。
戦争は悲惨なんて誰でも言えるが、それだけでは足りないのだ。
日本が加害者でもあったとかいう等価交換みたいな話ですらない。
加害の主体として戦争をし、他民族を使役し、最終的に自壊したという不快な事実を直視しない限り、日本の反戦はずっと片手落ちのままだ。
いずれまた、嵐が去ったらあの頃は庶民が辛苦を強いられたと被害者面するんだろうか?
俺はこの国を最後まで好きでいたいんだ。頼むよ。
飲酒運転が許されなくなったし
15歳に食糞させたごときで逮捕されて罰金を30万円も取られて、そのうえネットで袋叩きされて作品の配信が止められるなんて本当に男にとっては損ばかりの最低な時代だわ
情熱的に口説くとされていたものがストーカー規制法案で接近禁止にされるようになったし
昔は東南アジアに会社一同で旅行して少女を買いまくりなんてことも可能だった
会社の金で社員旅行に行ってスーパーコンパニオン(性風俗サービス有り)を呼ぶのも昭和の時代は自由だったが全くできなくなった
昔は職場で女の尻は触り放題で25歳を過ぎたオバハンは寿退社して消えていき高卒18歳や短大卒20歳が無限供給されて天国だったのに
今は環境型セクハラだのなんだの騒がれて女の裸のポスターすら貼れない
今の世の中は男に厳しすぎるしクリーンさを求めすぎているだろう
最近の若い父親どもはガキの面倒を見させられて哀れになってくる
一人でベビーカーひいて世話を女に丸投げされて
要約:スレ主の主張通り「友人の体験談」なら他人の体験を簒奪して戦争被災者になりきって自己陶酔する卑劣漢だし、完全な釣りなら実在の戦争をオモチャにするゲス野郎だと思います。
ボスニアでの戦争中の残虐行為を知りたいなら佐原徹哉『ボスニア内戦』、凄惨な戦場を体験した子どもの話を知りたいならヤスミンコ・ハリロビッチ『ぼくたちは戦場で育った サラエボ1992-1995』を読んでほしいです。
ボスニア紛争の体験者を騙ったVIP のスレッド「戦争の体験談を語るわ」が16年ぶりにバズっていて、はらわたが煮えくり返るくらい怒っている。
スレ主が創作をゲロった後の「留学先で出会った「彼」の体験談」だという弁明が事実かどうかはひとまず置いておいても、このスレの後半の流れを読めば、こんなクソスレに感動したり「名作」「出来が良い」と褒めたりしてる場合じゃないと思うのですが。
ボスニア紛争って、当たり前だけど実在した戦争で、カリノヴィクやフォチャやゴラジュデも実在する町で、戦争に関わった人たちや被害を受けた人たちは実在するわけじゃないですか。なんでその体験者を騙れたのか、あまつさえその体験で今も苦しんでいる当事者かのように装えたのか、その神経がわかりません。 スレ主は最後まで読んでもらうためだったとかなんとかうだうだ言い訳しているけど、言い訳しようのない卑劣な行為だと増田は思います。
実在のできごとをもとにした創作なら、最初から創作と明示したうえで、当時流行ってたやる夫スレなんかの形でやるならわかるんですよ。「戦争を題材にしたフィクション実際に起きた戦争を含めて、実話をもとにしたフィクション」なんて世に数多あるんだし、創作だとわかってても「考えるきっかけ」になるものだって多いしね。
仮に本当に知人の体験談なら、最初からそう明示すればよかったと思うんですよ。なんで数日間にわたって自分が戦争被災者になりきってんの? このスレに肯定的な評価をしてる人たちは、これがもっと自分に身近な事件を題材にした釣りだったとしても「考えさせられるきっかけになったから良い」なんて言えますか?
たとえば「性的虐待の体験談を語るわ」というスレで、自分は◯年前にA県B市に住んでて、C学校に通ってて、D、Eという友達がいて……と詳細に身の上を述べたうえで、被害の苦しみやおぞましい虐待の詳細なんかをショッキングな描写とともに感情たっぷりに語って、ストーリー上のドラマティックな山場を用意して、途中「書くのがつらい」なんて吐露したりもして、しばらくしてから「実は自分が被害を受けたのではなく、友人に託された体験記の転載でした。ドラマティックな場面は創作です」「性的虐待の恐ろしさを考えるきっかけにしてほしい」なんて言い出したら?
たとえば「震災の体験談を語るわ」というスレで、自分は福島県〇〇町に住んでいたと言いながら津波のショッキングな描写、友人の死、原発事故による避難、避難所での軋轢、その他ドラマティックな山場がモリモリのストーリーを臨場感たっぷりに自分の体験のように語って、語り手自身もPTSDになってるかのように仄めかして自死を匂わせておいて、挙げ句の果てに「フェイク入りの友人の体験談です、自分は被災者じゃありません」「被災地に想いを馳せてほしい」なんて言い出したら?
「勉強になった」「釣りかどうかなんてどうでもいい」なんて言えますか? 増田はそうは言えません。
「他人の凄惨な体験を自分ごとのように騙って、ただでさえ悲惨なできごとをドラマティックに脚色して自己陶酔して、何様のつもりだよ?」「実在する事件や被害者たちをおもちゃにしているのか?」「自分が注目を集めるために、事件を利用しているのか?」って思います……。
そしてもしも「知人の体験談」というとってつけたような弁明すら嘘で完全な釣りだったら、このなりきりはVIPで自分(あるいは自分が執筆したフィクション体験記)に注目を集めるために実在の戦争を利用するという、さらに卑劣な行為だと思います。
こんな自己陶酔たっぷりの騙りを挟むまでもなく、ボスニア紛争が悲惨なものであったことは疑いようがないし、その事実を広めたいと言うなら、仮に媒体を2ちゃんに限っても、もっとマシな方法はいくらでもあった。「きっかけになる」からってこんな騙りを許すのは、「『正しい目的』のためならどんなやり方で注目を集めてもいい、創作を実話と偽ってばら撒いたっていい」って言ってるのとそんなに違わないんじゃないですか?
とはいえ、こんな卑劣なやり方でバズったスレで「知るきっかけ」が得られたって人もたしかにいるでしょう。そういう人には、ぜひこんな騙りを超えて、事実をまとめた本や本当の体験記から情報を得てほしい。
ボスニア紛争の経緯や虐殺について知りたい人は、佐原徹哉『ボスニア内戦』(ちくま学芸文庫)を読んでほしい。2010年当時でも読めたけど、最近文庫化して入手しやすくなりました。Kindleもあります(https://www.amazon.co.jp/ebook/dp/B0FX8RXJZP/)。
ボスニア戦争を経験した子どもたちの証言集としては、2015年に角田光代さんが訳した、ヤスミンコ・ハリロビッチ『ぼくたちは戦場で育った サラエボ1992-1995』(集英社インターナショナル)という本があります。ハリロビッチさんは1988年生まれで、自身がサラエボ包囲のサバイバーで、同じ立場の(元)子どもたちの証言を集めた本。
どちらも読み進めるのがつらくなるような内容は多いけど、ボスニア紛争やその体験者(とくに子どもたち)に興味を持った人は手にとって損はないはず。
以下憶測多めの蛇足。増田は、友人の体験談の原稿の翻訳がベースだというのもかなり怪しいと思っている。書かれたものを訳したはずなのに、「外国人が耳で音だけ聞いた単語をカナに直したような表記」と、「スペルだけ知ってて音を知らない単語をカナに直したような表記」が入り混じっているし、「実在した」と挙げられている登場人物の名前にボシュニャク人・セルビア人・クロアチア人にしてはかなり珍しいであろう名前が複数あるから。
①「スルツキ」という表記。おそらく現地語の「srpski」のことだろうけど、この単語は普通日本語だと「スルプスキ」と書かれるし、「スルツキ」という表記はありえない(2010年当時の機械翻訳にかけてもありえないだろう)。ただ、Wiktionaryで発音を聞くと、スペルを知ることなく耳で音だけ聞いたら「スルツキ」にも聞こえうるのはわかる。https://en.wiktionary.org/wiki/srpski
しかしスレ主の言い分では、英語で書かれた友人(父親がボシュニャク人、母親が日本人)の体験記を訳したのだという。長大な原稿を英語から日本語に訳せる語学能力のある人が、渡された原稿に「srpski」と書かれているのを「スルツキ」とカナ表記するだろうか? 他の2民族を指すときの言葉(フルヴァツキ=hrvatski、ボシュニャチ=Bošnjaci)は正しくカタカナにしているのに、なぜsrpskiは「音だけ聞いて、スペルを知らない」かのようなカナ表記なのか?
もっと言えば、「スルプスカ」(srpska)はちゃんと「スルプスカ」と正しく表記しているんですよね。同じ単語(の女性形)なんだけど……。
なぜこんな表記なのかはわからない。あえて拙さを演出したのではないかと思うけど、そうだとしたら英語で書かれた体験記を訳したという後半の弁明とは辻褄が合わない。
②「カミーユ」という名前。いや、これフランス語Camilleですよね? フランスにルーツがあるわけでもないボスニア現地の人で、「カミーユ」という名前の人を見たことがない……。
現地語のカミル(Kamil)という男性名ならありえるが、これを「カミーユ」と聞き取るだろうか?
それに、スレ主が最後に「実在人物」として挙げているスペルはKamilではなくCamil(現地語読みならツァミル)。ツァミルという名前はあまり聞いたことがないが、英語の体験記から訳したとしたら、スペルが近いĆamil(チャミル)という男性名がいちばんありえるだろうな。でも、「ツァミル」や「チャミル」を「カミーユ」と聞き取るとは思えない。
これは、最大限好意的に見れば「スルツキ」とは逆に、「文字で見た単語を、スペルに引きずられて違う音でカナ表記した」ように見える。そうでなければ、スレ主がボスニアらしい名前を創作したときに、うっかりフランス語の名前を混ぜてしまったというところだろうか。
③サニャとカミーユの名字。Googleでいろいろと検索しても、旧ユーゴどころかスラヴ系のEdu姓の人が見つからなかった。カミーユのTrpkovaという姓も不思議。北マケドニアの女性ならわかるけど、ボシュニャク人の男性でそんな姓になることがあるだろうか……。
【3/2追記】読み直したら意図が伝わりにくい書き方のところがあったので、修正しました。増田の怒りの発端は「自分自身が体験者かのように装ったこと」「創作を実話と騙ったこと」にあります。だから、このスレは大河ドラマや朝ドラや火垂るの墓など「実話をもとにしたフィクションと明示されている作品」とはまったく別の話だと思っているよ。「ドキュメンタリー映画しか許せないのか」という反応があったけど、その比喩に沿うならこのスレはむしろ「ドキュメンタリーだと謳っていたのに実はフィクションだった」とか「ドキュメンタリーに「当時の体験を証言する」と言って出演した人が後から「あれは自分の体験じゃない」と言い出した」みたいな事例ですよね。
id:cloverstudioceo 「クロアチア在住のもんですが、スルツキはsrpskiだったのね。でもそれはセルビア語で、セルビア人はSrbin. あと、ボスニア人はBosanac(男性単数) Bosanci(複数) だよw Bošnjaciなんて聞いたことねー。」
→おっしゃる通り、srpskiは「セルビアの、セルビア人の」という形容詞ですね。srpski jezikは「セルビア語」、srpski narodは「セルビア民族」。hrvatskiも形容詞で、名詞の「クロアチア人」はHrvat。Bošnjaciは名詞「ボシュニャク人(Bošnjak)」の複数形です(https://en.wiktionary.org/wiki/Bo%C5%A1njaci)、調べてみたらたくさん用例が出てくると思います。Bosanac(Bosanci)は民族にかかわらず「ボスニア国民」という意味での「ボスニア人」を指します。
大学受験時代、ガンダム動物園に熱中していなかったら自分が今どこで何をしていたのだろうかとふと思うことが少なからずある。
FF11、RO、LoL、CS、これらに一切手を付けなかった人生がどれほど満ち足りたものだっただろうかと。
そもそもがテレビゲームに一切触れることなく、運動と勉強の中で育っていた私はどれほど健康的で賢かったのだろうかと。
田中ロミオや虚淵玄との出会いを「自分を理解してくれる人が世界にいるのだ!」と解釈せず、生身の人間同士で分かり合おうとしていれば。
アイギスやデレマスをやり込むことに意味を見出さずに黙々と目の前の労働、ないしは転職に向けた勉強に打ち込んでいれば何が起きたのだろうか。
確かに私の人生はゲームによって構成されていると思うが、ゲームが私に齎したものは半端な快楽と破壊された人生設計ばかりだったことに今更気づく。
薬物中毒者が後悔と共に振り返る人生の姿と相似形であるかのようなゲームと私の関係。
ゲームが悪いのではなく、ゲームと付き合い方を間違えた私が悪いのだろう。
機械仕掛けの世界で褒め称えられることを求めるのを効率的な生き方であると勘違いした人間の末路は悲惨だ。
この程度の増田でおおよそ私の人生の6割は語り終わってしまったよ。
なんて薄っぺらいんだろうな。
いじられキャラって言ったら何か無茶ぶりされてオイ!って言うとか、
狩野英孝とかダイアン津田みたいな愛されキャラをイメージすると思う。
というか当時の俺はそのつもりだった。
これはイジメじゃないんだ、いじられてオモシロに変えてるでしょ?って主張してるだけ。
男にとってこんな都合のいい人間いないでしょ。
暴言吐いても殴ってもいい、でもイジメじゃないからな!って本人が否定してくれるの。
楽屋裏で「あんないじってゴメンな」って言ってるかもしれない。だって社会人だから。
でも学生のいじられキャラって悲惨よ。お金が貰える訳でもなければ、
ただこれ良くない事に、いじられキャラって色んな人が集まってくるのよ。
一瞬人気者だと錯覚する訳。叩き放題のサンドバックだから。男子の大好物ね。
で、サンドバックだと気付かずに・・・というか、そう思わない為に「やーめーろーや」で返す訳ね。
これでイジメじゃなくて愛され気質のいじられキャラだと思い込めるわけよ。
でも、2人組作ってーの時にハブられないのは良い所かもしれない。
サンドバックとして触れ合った分、キショいから近寄りたくないという印象はなくなるからかな。
で、話が長くなっちゃったけど本題ね。
いやいるだろ、って思うかもしれない。
でもそれって、いじられキャラじゃないの。
「愛されキャラ」なの。
さっき言った通り、いじられキャラってイジメられてるだけのサンドバックなの。
愛されキャラって、その人の雰囲気、話し方、性格全部が好印象で固まってる、
じゃあいじられキャラは何ていうかというと、ただの「できない人」。
だって当然だよね、学生時代は無茶ぶりされたり小突かれたり関節技キめられてただけで、
社会に出たら「はいじゃあボケて!」もないし、関節技キめられて笑う人間もいない。
わざと自分を卑下していじりを期待するんだけど、本当にスペック低いからいじってくる人もいない。
本当の愛されキャラを見て、俺は愛されキャラじゃなかったのか・・・と絶望する。
あと全くモテない。当たり前だけど。
女子にいじられる事もあるけど、絶対に恋愛関係には発展しない。100%。
それと、新しい友達が全くできない。
いじられキャラって完全なテイカーだから、自分から遊びに誘わないし
何かをプレゼントする事もない。
むしろ自分をいじらせてあげてるからギバーでしょ?って思ってる最悪の生き物。
そして、話す事も得意じゃないし距離感はバグってるしイジってもらいたいからわざと生意気な事を言ってしまう。
それで嫌われて終わり。
いじられキャラって言ったら何か無茶ぶりされてオイ!って言うとか、
狩野英孝とかダイアン津田みたいな愛されキャラをイメージすると思う。
というか当時の俺はそのつもりだった。
これはイジメじゃないんだ、いじられてオモシロに変えてるでしょ?って主張してるだけ。
男にとってこんな都合のいい人間いないでしょ。
暴言吐いても殴ってもいい、でもイジメじゃないからな!って本人が否定してくれるの。
楽屋裏で「あんないじってゴメンな」って言ってるかもしれない。だって社会人だから。
でも学生のいじられキャラって悲惨よ。お金が貰える訳でもなければ、
ただこれ良くない事に、いじられキャラって色んな人が集まってくるのよ。
一瞬人気者だと錯覚する訳。叩き放題のサンドバックだから。男子の大好物ね。
で、サンドバックだと気付かずに・・・というか、そう思わない為に「やーめーろーや」で返す訳ね。
これでイジメじゃなくて愛され気質のいじられキャラだと思い込めるわけよ。
でも、2人組作ってーの時にハブられないのは良い所かもしれない。
サンドバックとして触れ合った分、キショいから近寄りたくないという印象はなくなるからかな。
で、話が長くなっちゃったけど本題ね。
いやいるだろ、って思うかもしれない。
でもそれって、いじられキャラじゃないの。
「愛されキャラ」なの。
さっき言った通り、いじられキャラってイジメられてるだけのサンドバックなの。
愛されキャラって、その人の雰囲気、話し方、性格全部が好印象で固まってる、
じゃあいじられキャラは何ていうかというと、ただの「できない人」。
だって当然だよね、学生時代は無茶ぶりされたり小突かれたり関節技キめられてただけで、
社会に出たら「はいじゃあボケて!」もないし、関節技キめられて笑う人間もいない。
わざと自分を卑下していじりを期待するんだけど、本当にスペック低いからいじってくる人もいない。
本当の愛されキャラを見て、俺は愛されキャラじゃなかったのか・・・と絶望する。
あと全くモテない。当たり前だけど。
女子にいじられる事もあるけど、絶対に恋愛関係には発展しない。100%。
それと、新しい友達が全くできない。
いじられキャラって完全なテイカーだから、自分から遊びに誘わないし
何かをプレゼントする事もない。
むしろ自分をいじらせてあげてるからギバーでしょ?って思ってる最悪の生き物。
そして、話す事も得意じゃないし距離感はバグってるしイジってもらいたいからわざと生意気な事を言ってしまう。
それで嫌われて終わり。
だからさ、
もっと怒らせないようにしなきゃ
もっとずる賢く生きなきゃ
心の中で舌を出しときゃいいんだよ
それをはっきりと「台湾有事は存立危機事態になり得ま〜す!」とか言っちゃダメなんだよ
素直すぎるんだよ
真面目すぎるんだよ
米国に頼れないのも当たり前
その中でどうやって生き残っていうかをもっと狡猾に考えるべきなんだよ
何か言われたら、いい感じの言い訳を考えておくべきなんだよ
そういう用意もせずに、国会でちょっとツッコまれたからポロッと言っちゃうなんて、本当に頭悪すぎる
それを支持する国民も頭悪すぎる
計画立ててやってくれよ
低身長男性は女性向けコンテンツから低身長が死滅した現在も「ジャニーズの平均身長は165cm!キムタクの身長は168cm!」と自己暗示し続けるか
医師や東大卒よりはるかに少ない芸能人になるか(一般人のチビは幾ら金があっても結婚できる相手は女衒アバズレの神田うの)
骨延長するか(ただし医者や経営者やクリエイターやエンジニア限定)
533:名無しさん@恐縮です 2026/02/22(日) 09:40:18.10 ID:Jy9VMhqr0
現実は老人や底辺含めた成人男性の下位2割未満しかいないんだぞ
彼らは「旧ジャニーズは平均身長165cmのチビの集まり」と主張するが
165cmのチビは解体前の全盛期ジャニタレの中でも浮くくらい少数派なんだよ
「奈良時代の農民が全員、自力で平城京(奈良)まで租・庸・調を運んだ」という話は、歴史学的には正確ではありませんが、完全な「デマ」というよりは「極端な一般化や誤解」が広まったものと言えます。
なぜこのようなイメージが定着したのか、その背景にはいくつかの構造的な理由があります。
実際に、地方から都まで税を運ぶ役割の農民は存在しました。これを運脚と呼びます。
庸・調は都へ: 地方特産品(調)や労役の代わりの布(庸)は、中央政府の財源にするため都へ運ぶ必要がありました。
過酷な旅: 徒歩で数百キロ移動し、道中の食料(自分たちの分)も自前。途中で行き倒れる者も多く、その悲惨さが万葉集や記録に残っています。
この「地獄のロードムービー」的なエピソードが教科書や資料集で強調されすぎた結果、「農民=みんなで歩いて奈良へ行く」というイメージが独り歩きしました。
租は地方保管: 収穫した米の約3%を納める「租」は、基本的には各国の「正倉(しょうそう)」に保管され、地方行政の費用や救済措置に使われました。
お米は重すぎる: 当時の交通インフラで、全国から大量の重い米を奈良に集めるのは物理的に不可能です。
「租・庸・調」をセットで覚えるため、「税=全部奈良に持っていく」と一括りに解釈されてしまったのが誤解の大きな原因です。
かつての学校教育では、制度の複雑さを省き、「農民の負担がいかに重かったか」を教えることに重点が置かれていました。
| 項目 | 実際の実態 | 誤解されがちなイメージ |
|---|---|---|
| 租 (米) | 地方(国衙など)で保管 | 都まで運んだ |
| 庸・調 (布・特産品) | 運脚が都まで運搬 | 全農民が交代で運んだ |
| 運ぶ人 | 各郷から選ばれた代表者 | 全農民が自分の分を持っていく |
最近の研究では、運脚だけでなく、専門の運送業者(船便など)の活用や、後の時代には代銭納(お金で納める)のような仕組みが検討されていたことも分かってきています。しかし、「苦しむ農民」というステレオタイプが強固だったため、情報のアップデートが一般に浸透するのに時間がかかっています。
「デマ」というよりは、「一部の事実(運脚の苦労)を、税金全体・農民全体の話として拡大解釈してしまった」というのが真相に近いです。