はてなキーワード: 作用とは
僕は正確に14:00に日記を書き始めた。予定より15秒早い。許容誤差の範囲内だ。
ルームメイトは「普通そこまでしない」と言ったが、普通という概念は統計量であり、規範ではない。
朝7:00に起床し、7:03にシリアル、7:05に座席Aに着席して計算を開始した。
木曜日は必ず座席Aだ。これは月曜日と同じだが、火曜日の座席Bとは異なる。
理由は単純で、曜日対称性を意図的に破ることで思考の局所最小値を回避するためだ。
今日は主に worldline formalism の再解釈を進めた。
通常、点粒子の量子場理論では粒子の軌跡は worldline、弦の場合はそれが2次元に拡張されて worldsheet になる。つまり粒子は1次元の軌跡、弦は2次元の面を掃く。
しかし僕が気になっているのはその次の段階だ。
最近考えている仮説は、worldline path integral を単なる粒子の量子力学としてではなく、∞-category 的な幾何の1次元境界理論として解釈することだ。
通常の worldline formalism は、ループ積分や有効作用を粒子の経路積分として再表現する計算技法として使われる。
だが僕の観点ではそれはまだ浅い。
もし worldline が derived loop space の上の作用だとすると、粒子の path integral は
の三層構造として書き直せる。
つまり、
ここでL(M) は target space M の loop space。
普通は worldsheet σ-model を quantize することで弦理論が得られる。
ところが worldline formalism を categorified すると、worldline → 2-category → worldsheet という階層が自然に現れる可能性がある。
もしそうなら、弦の worldsheet は基本的対象ではなく粒子理論の∞-categorical completionとして再構成できる。
つまり弦理論は QFT → categorification → string theory という手順の結果として出てくる。この観点では D-brane も単なる境界条件ではない。
それは objects in Fukaya-type ∞-category として扱える。
ここで奇妙なことが起きる。
もし worldline action の BV master equation を derived stack 上で書くと、ghost number grading が Z → Z + 2-periodic に自然に拡張される。
すると supersymmetry が 構造として自動的に現れる。
これは僕の昨日の計算で見え始めた。
問題はこの構造が elliptic cohomology と直接つながっていることだ。
つまり弦理論のモジュラー不変性は、単に worldsheet CFT の結果ではなくloop stack の指数定理として理解できる可能性がある。
ではない。
本体は derived moduli stack of quantum field theoriesだ。
そして困ったことに、この視点だと弦理論の「次」は弦ではない。
∞-category of QFTs になる。
ここまで考えたところで、僕は一度ホワイトボードを見つめて「これは多分誰も計算していない」と確信した。
彼は「事故だ」と言った。
僕は新しいルールを導入した。
半径
隣人がそれを聞いて笑った。
月曜インド
火曜メキシコ
水曜中華
木曜タイ
金曜ピザ
この周期は最適化されている。
友人Aは「飽きないのか」と聞いた。
彼は理解していない。
13:20 友人Bが言った。
僕は説明した。
彼は沈黙した。
今日の成果
1. worldline formalism の BV構造の整理
3. supersymmetry emergence の証拠
modular anomaly の扱い。
ここがまだ崩れている。
やることは3つ。
1. elliptic cohomology と弦指数の一致確認
2. derived stack の moduli 空間を定義
3. worldline → worldsheet categorification の証明
もしこの仮説が正しければ、
もし間違っていたら?
どちらでも構わない。
なってみろよ、女だって大変なんだよ、みたいな事は言わないで欲しい。
一時期、髪を伸ばして女性風にカットしてもらい、メイクを研究して女性の服を着ていた事がある。
結果、すごく楽しかった。
男のファッションだって楽しいよ、みたいな事は言わないで欲しい。それなりに楽しんではいる。でもやってみれば分かる、女性のそれは段違いだ。
二丁目にも出入りしてみた。
そういう人達が集まる会などもある。
どちらもなかなかだった。
多分、性同一性障害以前に、発達障害とか何かしらがあるだろう人が沢山いた。自分も例外とは言わない。
その界隈には何故か電車好きが多いと聞いて妙に納得したのを覚えている。
この人達の中に本当の性同一性障害の人は何人いるのだろうと思った。自分も結局違ったし、そうでなくても勿論構わないのだけど。
それにしても、あまりに自分の事が客観的に見れていない、過剰に可愛い服を着たいけどメイクとか髪型とか全然整えられなくて、全身のバランスがガッチャガチャのおじ様達が大半で強烈な体験だった。
女装に性的興奮を覚える人もいるらしいので、そういう人も何割か混じってるのだろう。あとシンプルにエンジョイ勢というか。
ただ少ないけど、本当に上手く女性化できてる人もいた。
若い方がそれは当然有利なんだけど、アラフォーぐらいで落ち着いた服で、自然に女性っぽい感じの佇まいとか喋り方をしてる人がいてすごく素敵だった。あんな風になれたら良かったな。
そこそこ色んなところで褒めてもらえたし、お世辞含めてでもかわいいって言って貰えるのは嬉しかった。イケメンとか言われるより数倍嬉しい。何でだろう。男は顔じゃないって分かってるからだろうか。
女性の服を着ると自分でも鏡を見て楽しいし、ひらひらしたカラフルな着心地の良い生地の服を着ているととても気分が良い。あんなの全人類好きでしょ。
生まれ持った素材をテクニックとかセンスでカバーできるのズルくない?
男性でもすればいいんだけど、やっぱり相当抑えめにしないと浮いてしまう。二十代なら今の時代はいけるのだろうか。その子らが30,40,50歳になっていってもメイクしてる未来がくるのだろうか。
女性の格好してる時にナンパされたこともあった。無視はしたけど内心嬉しかった。どんな下心であれ、偽りの女性である自分に少しでも魅力を感じてもらえた事が。
結局、家庭の事情で諦めた。
それにその道の事を知るうちに、女性に近づこうとすればするほど、大きな壁の存在が立ちはだかるという闇も感じていた。
具体的に言うと手術とかそう言う話。その時は自分も性同一性障害かと思っていた。診断書も貰った。
手術の様な、限りなく近づいていけばいく程、本物と違う部分が気になってしまうと言う事があるらしい。
それは本当に悩んでる人にとっては辛い辛い事だと思う。そういう苦しい世界なのでもしガチの人と接する機会があったら優しくしてあげてほしい。
それでもやっぱり女性に憧れないと言ったら嘘になる。
上で触れたファッションの事もそうだし、例えばかわいい声で話したりしたい。かわいいには自浄作用がある。自分の声が可愛かったらそれだけでも自己肯定感上がると思う。自分のできる限りで試してみてもそう思う。
人や世の中に求められたい。求められた上で拒否してもいい。その権利がある事が羨ましい。それを邪魔に感じる人がいるのも分かるし、女性だって大変なんだよって言いたくなる人がいるのは分かる。
生きるのは大変。そこで誰かと争うつもりはない。
今世では無理だと分かっているので、極力違和感の出ない自然なレベルで中性的な雰囲気になりたい。
魅力的な中性的な人に、なりたいなあ。
まだ目指せるかなあ。
これだけ酒による性被害が横行しているのに、酒を飲もうとする人が多くて不思議ではある
特に女性、チャラそうな場では最初の一杯だけにしとくみたいな防衛策が全然発達してない
自分は女性だけどみんなと飲む酒が嫌いなので、最初の一杯だけビール飲んであとは烏龍茶飲んで料理食べてるタイプなんだけど
当たり前にシラフだから、自分のほうが意識朦朧として性被害みたいなパターンはまずない
相手のほうが酒で気が大きくなって性加害してこようとするパターンの場合も、そもそも酒を飲まなければ飲み直しだの二軒目いこうだのないので大幅にリスク回避できる
さすがに一次会でセクハラしようとするアホはコミュニティのも自浄作用でなんとかなるし
女たちよ、酒は一人で飲め
ちゃらそうな人間がいる場で酒を飲むな
IUTは数論・代数幾何の理論だ。一方、量子力学の基礎構造はヒルベルト空間上の線形作用素と確率測度。
ここで重要なのは、「数学のある理論がある」ことと「それが物理理論になる」ことの間には巨大な溝があるという点だ。
たとえば圏論もトポスも代数幾何も物理で使えるが、使うには具体的な物理量と方程式の対応が必要になる。
この文章はその橋を一本も架けていない。
これは完全に意味不明。IUTの「宇宙」は物理宇宙ではなく、異なる算術構造の比較枠組みを比喩的に宇宙と呼んでいるだけだ。
ヒルベルト空間は内積空間で、量子状態はベクトルとして表現される。
つまりヒルベルト空間に再定義する操作自体が定義されていない。
これは簡単に言うと異なる数論的構造の間で情報を比較するための変換だ。
ここで「量子もつれの数論的表現」と言い出すのは、完全にSF。
これは数学的に危険な文だ。FrobenioidはIUTに出てくる圏論的構造で、数論的なモノイドやフロベニウス作用を抽象化したもの。
波動関数の位相因子はU(1)群の要素。FrobenioidとU(1)の間に既知の同型や対応はない。
それを書かない限り意味はない。
量子測定問題は
などで議論される。
ここで突然
という単語を混ぜている。
実際の論文ではこれらの概念を接続するには100ページ単位の構築が必要になる。
これも逆転している。
ABC conjecture は整数の加法構造に関する純粋数論問題。
量子重力理論(弦理論やループ量子重力など)とは今のところ無関係。
仮に関連づけるなら
のような橋が必要になる。それが一切ない。
A「どうもー!今日はね、最近流行りの数学の話をしたいと思うんですよ。」
A「いやいや、今回はもうちょっと軽い話。宇宙際タイヒミュラー理論ぐらい。」
A「この前さ、僕の彼女が言うわけ。あなた、私の気持ち全然わかってない!って。」
B「よくあるやつや。」
A「だから僕言ったんですよ。それはおかしい。君の心の数論的宇宙を、ログ構造付きアナベール幾何で再構成したはずだ!って。」
A「でも彼女が怒るんですよ。それは同型じゃなくてただの外部自己同型群の作用でしょ!って。」
A「それで別れ話になってね。彼女が言うんですよ。あなたと私の関係、もう元の圏には戻れない、って。」
B「それは普通に別れや。」
A「いや、違う。僕は言いました。大丈夫。ホッジ劇場を経由すれば比較可能だって。」
A「そしたら彼女が泣きながら言ったんです。でもその同型、証明されてないじゃない!」
B「そこ一番アカンとこや!」
A「僕は静かに答えました。証明はある、ただ君の数学的成熟度では理解できないだけだ」
B「それ言うたら完全に終わりや。」
B「何をや。」
A「いつか彼女は理解する。この関係が、単なる写像じゃなくて宇宙際的同型だったってことを。」
B「いやただの失恋や!」
B「唯一理解してる客がおるな。」
超弦理論、圏論、トポス理論、そして情報幾何学。これらを究極的に統合する深淵の領域について、論理的推論を展開する。
まず、10次元時空から現実の4次元を導き出すための余剰6次元のコンパクト化、すなわちカラビ・ヤウ多様体 𝒳 を定義する。
弦の端点が張り付くDブレーンは、古典的には 𝒳 上の連接層として記述される。しかし、量子補正を考慮した位相的弦理論の枠組みでは、単なる層ではなく連接層の導来圏 𝒟^(b)(Coh(𝒳)) として定式化されねばならない。
ここにホモロジカル・ミラー対称性予想を適用する。𝒳 の複素幾何学は、ミラー多様体 𝒴 のシンプレクティック幾何学、すなわち深谷圏 ℱuk(𝒴) と完全に等価となる。
だが、これは依然として低次元の近似に過ぎない。非摂動的定式化を指向するならば、対象を (∞,1)-圏論、あるいはさらに高次の (∞,n)-トポスへと引き上げるのが論理的帰結だ。
ここでは、対象間の射(morphisms)自体が空間を形成し、すべての高次ホモトピーがコヒーレントに保たれる。物理的な空間という概念そのものが、層のトポスの同値性として完全に抽象化される。
次に、世界面上の2次元共形場理論(CFT)に着目する。ポリャコフ作用は次のように記述できる。
S = 1/(4πα') ∫ d²σ √h [h^(ab) G_μν(X) ∂_a X^μ ∂_b X^ν + α' Φ(X) R^(2)]
カラビ・ヤウ多様体の複素構造モジュライ空間 ℳ_c は、CFTの変形パラメータの空間と見なせる。
このパラメータ空間上のフィッシャー情報計量は、Zamolodchikov metricと厳密に一致し、さらにそれはモジュライ空間上のWeil-Petersson metricに等しい。
量子状態の確率分布が成す多様体の幾何学(情報幾何)が、重力理論の背景時空の幾何学を完全に決定している。これは単なる偶然ではない。論理的必然だ。
超弦理論におけるBPSブラックホールの微視的エントロピー S = k_B ln Ω を、箙(quiver)の表現論と結びつける。
BPS状態の縮退度 Ω は、ドナルドソン・トーマス不変量(DT不変量)としてカウントされるが、これはアーベル圏における安定対象のモジュライ・スタック上のオイラー標数に他ならない。
これをさらに一般化し、コホモロジー的ホール代数(CoHA: Cohomological Hall Algebra)を構築する。積構造は次のように定義される。
m: ℋ_γ1 ⊗ ℋ_γ2 → ℋ_(γ1+γ2)
ここで、グロタンディークのモチヴィックガロア群が、このBPS状態の代数構造にどのように作用するかを思索する。
極限状態において、宇宙のあらゆる物理現象(重力、ゲージ場、物質)は、ある巨大な (∞,1)-トポス内の単なる対象(objects)と射(morphisms)のネットワークのエントロピー的ゆらぎとして記述される。
物理的実在とは、情報幾何学的な計量を持つ高次圏の構造そのものなのだ。
土曜日 03:00
僕は今、机の上の温度計を確認した。室温22.3℃。許容範囲だ。22℃±0.5℃が理想だが、この誤差は許せる。宇宙は量子揺らぎで満ちているのだから、僕の部屋の空気が0.3℃くらい揺らいでも大勢に影響はない。
少々早いが、シリアルを42回噛んだ。回数は宇宙的意味ではなく統計的最適化の結果だ。咀嚼回数と粘度と嚥下効率の関数を簡単にモデル化すると、だいたいこの辺りに極値がある。
友人Aは「ただ食え」と言うが、最適化問題を放棄するのは文明の敗北だ。
問題がある。彼はマグカップをランダムに置く。僕の座標系ではテーブルは格子構造で理解されているので、カップが格子点から2.5cmずれると精神的ノイズが発生する。
僕は修正した。ルームメイトは「別にいいだろ」と言った。もちろん良くない。局所対称性の破れは気持ちが悪い。
さて、本題。
最近僕が気に入っているのは、弦理論をコボルディズム圏の表現として理解する視点だ。
つまり、世界面の幾何を単なる積分領域として扱うのではなく、構造付きコボルディズムの∞-圏として扱い、その上の関手として量子場理論を定義するというやり方。
要するに、時空の断片(コボルディズム)を入力すると、ヒルベルト空間や相関関数を出力する機械として理論を公理化する。
問題は、弦の世界面理論が単なる2次元CFTでは足りないことだ。低種数のホロモルフィック部分、つまり頂点作用素代数だけでは全データの半分しかない。
完全な理論には全種数の縫合条件(sewing constraints)を満たす構造が必要になる。
ここで僕は少し狂気じみた仮説を考えている。
世界面CFTを単なる代数として扱うのではなく、factorization algebra の ∞-スタックとして扱う。すると、弦の相互作用は operad 的な貼り合わせではなく、E₂-代数から E∞-代数へのホモトピー的拡張として見える。
つまり
世界面 → ∞-圏
観測量 → factorization algebra
弦相互作用 → operadic gluing
でも僕の進捗はその先だ。
もし弦のバックグラウンド場(B場やRR場)を微分コホモロジーのコサイクルとして扱うなら、弦の作用は普通のゲージ場ではなく2-束(bundle gerbe)の表面ホロノミーになる。
線 → 粒子
面 → 弦
三次元 → 何か
という階層になる。
ここで僕は思いついた。
もし世界面理論が tmf(topological modular forms)に自然に持ち上がるなら、弦のスペクトルは実質的に楕円コホモロジーのスペクトル系列として見えるはずだ。
このとき弦の振動モードは単なる調和振動子ではなく、モジュラー形式の q 展開として理解できる可能性がある。
これはかなり美しい。なぜなら弦理論の分配関数はもともとモジュラー不変性を持つからだ。
もし tmf が本当に正しい言語なら、弦のスペクトルは、ホモトピー論 + モジュラー形式、という奇妙な組み合わせで分類される。
つまり、宇宙は振動しているのではなくホモトピー圏でモジュラー関数を再生しているということになる。
夕方、隣人が部屋に来た。理由は不明だ。僕のホワイトボードを見て「それ何?」と言った。
隣人は「なるほど、パスタ?」と言った。
夜は友人Aと友人Bとオンラインで話した。
友人Aは衛星の話をしていた。友人Bはまた宇宙人の話をしていた。
僕はその間、バックグラウンドで計算していた。もし弦理論が本当に QFT = Cobordism functorとして完全に定式化されるなら、弦の摂動展開は
という関手の圏論的トレースとして書ける。その場合、弦の相互作用頂点は単なる三点頂点ではなく∞-圏の合成になる。
僕はこの考えがかなり気に入っている。ただ問題がある。まだ計算できない。
現在の予定。
1. カモミールティーを作る
2. factorization algebra と tmf の関係をもう一度整理
3. 世界面の sewing constraint を ∞-operad で書き直す
4. 眠くなったら寝る
もちろん寝る確率は低い。
そして僕のホワイトボードにはまだ空きがある。
近年の脳科学やオーディオ研究には「ハイパーソニック・エフェクト」という重要な仮説があります。
これは、大橋力博士らが提唱したもので、「可聴域を超える高周波成分(非可聴音)を含んだ音を全身で浴びると、
脳幹や視床下部の血流が増加し、脳波(α波)が活性化する」という現象です。
つまり、ハイレゾは「耳の鼓膜」だけで聞く記号的な音ではなく、
一般的能力、つまり世間が「地頭」などと雑に呼ぶものが、日常世界の統計構造に対するニューロンのフィッティングだとしよう。
フィッティングとは、環境からサンプリングされたデータに対し、神経回路の重みが誤差最小化的に調整されることだ。
赤ん坊が物を落とせば下に落ちると学習するのも、扉は押せば開くと学習するのも、損失関数が日常物理の範囲で収束しているからだ。
ここで問題が生じる。
ない。少なくとも直接は。
では、非直感的数理認識、例えば、無限次元空間の直観や、非可換代数の振る舞い、あるいは超弦理論におけるモジュライ空間の幾何的構造の把握はどこから来るのか。
仮説を立てる。これは作業仮説だ。検証可能性は今のところ僕の頭の中にしかない。
リンゴが落ちる、物体は連続している、時間は一方向に流れる。これらは環境データの主成分だ。脳は主成分分析装置だ。高次元入力を低次元多様体に射影している。
もしそうなら、数理認識はその射影演算子を別のデータ分布に適用する試みだ。
現実世界ではなく、記号体系に対してだ。脳は物理世界で訓練された圧縮機構を、人工的に生成された抽象構造へ転用する。いわばドメインシフトだ。
問題はここだ。なぜそれがうまくいく?
これはプラトニズムではない。弱い構造実在論だ。物理法則が微分方程式で書けるという事実は、宇宙のダイナミクスが連続対称性や保存則を持つことを示す。
対称性は群論的対象だ。量子状態はヒルベルト空間の元だ。つまり、日常物理にフィットしたニューロンは、すでに群や線形構造の影を学習している。
僕たちはリンゴを見ているつもりで、実は表現論の端っこを見ているのかもしれない。
非直感性とは進化的損失関数に含まれていなかった方向への外挿だ。
進化は捕食者を避け、食料を確保する能力を最適化した。リーマン予想を解く能力は含まれていない。
しかし、損失関数を局所的に最適化したネットワークは、十分な容量があれば、未知の領域にも一般化する。
ディープラーニングでいうオーバーパラメータ化だ。脳は進化的に過剰性能だった可能性がある。
超弦理論を考える。余剰次元はコンパクト化され、カラビヤウ多様体のトポロジーが物理定数を規定する。
もし宇宙の基底構造が高度に幾何学的であるなら、数学を理解することは、宇宙の自己記述能力の一部かもしれない。
意識は宇宙が自分の作用積分を読んでいる状態だ、という大胆な仮説すら立つ。
常識にフィットしたニューロンが、記号という仮想宇宙に再帰的に適用されるとき、そこに非直感が生じる。
非直感とは、直感の適用範囲を超えた地点に立ったときの主観的違和感にすぎない。構造自体は連続している。
僕たちは常識を裏切っているのではない。常識の圧縮アルゴリズムを、宇宙のより深い層に向けて再利用しているだけだ。
ハイト理論と隣接しつつ、別の角度から政治的道徳・イデオロギー差を説明する研究を紹介します。
■提唱者
John Jost
■核心
人は、自分が属する社会体制を心理的に正当化しようとする傾向がある。
■新しい視点
Jostは「なぜ保守が秩序や制度維持を好むのか」を動機レベルで説明します。
不確実性回避
脅威管理
「秩序を心理的に安定源として求める傾向がある」と再解釈できます。
■提唱者
■核心
慣習への固執
■新しい視点
高RWA者は脅威認知が強い
という傾向が示されています。
■提唱者
Jim Sidanius
■核心
■新しい視点
提示文の
John Hibbing
■核心
保守層は
大きな音
画像的脅威刺激
に対して生理反応が強い傾向がある。
■新しい視点
これは
右派=恐怖
という単純化ではなく、
「脅威処理の神経生理学的差」
■提唱者
Michele Gelfand
■核心
社会には
の違いがある。
■新しい視点
保守傾向は、
■提唱者
Chris Sibley
■核心
脅威 → RWA
■新しい視点
基盤は6つより少ないのではないか
Liberty基盤の扱いが曖昧
これらを読むことで、
提示文は
しかし実際は:
道徳基盤
脅威感受性
例えば次の問いは有効です:
脅威が減れば右派的傾向は弱まるのか?
男オタク、特に弱者男性って、あんなに頑なに検索よけしないわけ?
これ、単なる無知とかネットリテラシーの欠如で済ませられるレベルじゃないでしょ。
女が嫌がる顔が見たくて、わざと公式タグ汚したり、グロい妄想を垂れ流したりして、罠張って待ってるんだろ。
女オタクの界隈ってさ、めちゃくちゃルールが徹底してるんだよ。
なんでそこまで手間かけるかって、「公式に迷惑をかけない」のと「見たくない人の目に触れさせない」っていう、最低限の配慮があるからなんだよね。
でも男オタクはどう?
公式名バッチリ入れて、夢絵だろうが特殊性癖だろうが、検索に引っかかるように放流する。
これってさ、「俺の欲望を世界に強制する」っていう、傲慢な特権意識の表れでしょ。
お前らが検索よけしないのは、配慮ができないんじゃなくて、「配慮なんてしたくない」っていう女への拒絶反応なんだよ。
「それはマナー違反じゃない?」って誰かが言えば、みんなで議論してルールをブラッシュアップしていく。
めんどくさい? そうだよ、めんどくさいよ。
でも、そのめんどくささを引き受けてでも界隈を守ろうとする責任感が女にはあるんだわ。
対して男オタクは?
お前らの言う自由って、「女が不快になる権利を侵害する自由」のことだろ。
自浄作用がないから、どんどん煮詰まって、腐ったヘドロみたいな投稿だけが検索欄に残る。
この前もさ、女性ファンが大切に守ってるVtuberの界隈で、検索よけなしのドロドロの妄想イラストが流れてきて炎上してたじゃん。
っていう、底意地の悪いニヤケ顔が透けて見えるんだよ。
それってさ、立派なミソジニーなんだよね。
自分の思い通りにならない規律ある女性社会を、自分の汚れ物で汚染してやりたいっていう、歪んだ支配欲。
やってることが露出狂と変わんないんだわ。
「検索よけなんて知らなかった」とかいう言い訳、もう通用しないから。
女が不快になってるのを知ってて放置してるなら、それはもう明確な差別であり、嫌がらせだよ。
いい?
お前らがその汚いチー牛な内面を晒すのは自由だけど、それを私たちの綺麗な界隈に持ち込まないで。
少しは女オタクの爪の垢でも煎じて飲んで、他人の目があるってことを理解したら?
罠を張って女が引っかかるのを待ってる暇があったら、そのボサボサの髪でも切りに行けよ。
私なりに考えたのだが科学的な見地ではなく個人の思いだけで書いたので、実際に研究が出ているところがあれば教えて頂きたいです
大学のグループ・ディスカッションの中で、家族という集まりを作るのは人類の特徴というような内容の話があった
大事な場合もあるかもしれないが、それは生物的なものではなく社会的なものだと思う
なぜか?
血のつながりが生物として何らかの特徴や効力を持つなら赤ちゃんの取り違え事件とか、誰の子どもか分からなくてDNA鑑定だとか、そんな事は起きないと思う
ファンタジーとかだと血筋でなんか共鳴したりする作品もあるかもしれないけどさ・・
動物として、他人の子どもを害する性質が人類にはあると言っている人もいるが・・・多分デマだ
赤ちゃんが母親から産まれたとき、その時点で赤ちゃんが母親や父親と実際に会うのは初対面だ
最初は初対面という条件は血が繋がってようが里親だろうが親戚だろうが近所の人だろうが変わらない
家族として受け入れるかどうかだと思う
親が「この子は私の実の子だ」という意識を強く持ってもそれは後天的な社会的な影響だと思う
逆に血が繋がってなくとも取り違えなどが起きてしまえば違う子どもに対して「この子は私の実の子だ」という意識を持ってしまう
血の繋がりを大事と思うのは生物としてではなく社会的なものだろうというのはこのような理由である
これまでを踏まえると血の繋がりの効力は後天的な要素にまでは影響があっても、本質的に生物的な部分には関係がないと考える
これで大人や子どもなど人を対象とした研究や実験結果の適用範囲が予測できるのではないだろうか?
例えば親の自覚には血の繋がりの有無が影響を及ぼすかもしれない、
今産まれたばかりの赤ちゃん側からの親を思う気持ちと知らない人の相手を思う気持ちは多分等しい
今日までの進捗をまず書き留める。
昨日ようやく、ある凝集的 (∞,1)-topos H上のゲージ場の形式的構造を、超弦理論の一般化として位置づける作業を進めた。
これは単なる散文的理解ではない。空間や過程としての物理を、対象・射・射の射…といった高階の間の関係性として捉える高次圏論という言語で翻訳する試みだ。
反強磁性体を記述するテンソルカテゴリや、コボルディズムの∞-functorとしての量子場理論は、その端緒にすぎない。
この文脈では、単に集合としての物理量を扱うだけでなく、連続的な同値・ホモトピーの階層が、それ自体が物理的意味を持つ構造として立ち現れる。
これが∞-群oidや高次束としてのガウス場、B-field、RR-field を形式化する鍵だ。
具体的には、超弦理論に現れる各種ゲージ場や重力場を、∞-束接続としてdifferential cohomologyの枠組みで統一的に扱う。
この∞-束とは、通常の主束や接続の集合ではなく、その射や高次射の階層を含む ∞-Lie 群に対して定義されるもので、カーブやブレーンの運動をそれ自体がモルフィズムとして反映する。
従って、ゲージ変換だけでなく、ゲージ変換間の変換すらが高次モルフィズムとして扱われる。こうした構造が、超弦理論の持つ鋭い対称性や双対性を一元的に説明しうると期待されている。
(∞,1)-topos の内部での differential cohomology がどのように超弦理論の動力学をエンコードするかを整理した。
これは、単純な作用関数の積分ではなく、principal ∞-bundle 上の接続の層として表現される。
いわば物理的場は、物理対象(弦や五重膜)に対する高階のデータのコレクションとして現れる。
ここで僕が着目しているのは、これらの高階接続が ∞-Chern-Weil ホモモルフィズムを通じて位相的な特徴と絡み合う様だ。
まずブラックボディ放射の理論と反射対称性を考えながらコーヒーを一定温度 63.3 °C に保つ。その後、白板に ∞-群oid の概念図を描き続ける。
これは単に僕の精神安定剤ではなく、今日の解析で同値の同値すら物理的に意味を持つような理論的裏付けを探る副作用でもある。
日常の奇妙な相互作用がないわけではない。隣人は朝、僕の食卓でシュレーディンガーの猫について質問してきたが、僕は微分同調群の态射による観測と古典的状態の分離を例示しようとして、結局彼女をさらに混乱させた。
友人Aは宇宙の定数問題について議論を挑んできたが、僕は (∞,1)-topos の内部 cohomology が選ぶ物理的背景場の分類問題と応答してしまい、彼を呆然とさせた。
友人Bは量子場理論の標準模型への一般化について聞いてきたが、僕は principal ∞-bundle によるゲージ理論の抽象的表現を繰り返し説明したため、会話が圏の自然変換まで戻ってしまった。
これからやろうとしているのは、定量的なステップとして、ゲージ場空間上のHigher Chern-Simons 傾向を具体的に計算することだ。
具体的には ∞-Chern-Weil ホモモルフィズムに基づく作用関数の高次補正項を導出し、その境界理論がどのように臨界超弦場理論に帰着するかを調べる。
これは大雑把なパス積分を単に書き下ろすよりも、一段階上の構造を扱う。
こうした解析は、単なる文字列振幅の再表現ではなく、物理的場の深層的な対称性と幾何的結合を明らかにするだろう。
総じて、今日のラムゼイ的な思索では、超弦理論と高次圏論との接点をより抽象的かつ計量的に結びつける基盤として、(∞,1)-topos と differential cohomology の組み合わせが極めて有望だと僕は考えている。
トラネキサム酸250mg 1日3回以外にも、疼痛時にデカリニウム塩化物トローチ0.25mg、ロキソプロフェン60mg 1日3回、アンブロキソール45mg 1日1回、レスプレン30mgが出てるから、「薬を何も出さないと文句言われるから」は当てはまらないと思う。
他人の処方にあれこれ言うのはあれなんですが、せっかく書いていただいたのでコメントさせていただきます。マジレスなので誰も見てないことを願います。もし元のコメ主様読んでいただいたら既読の一言でもつけていただけると嬉しいです。
→前述のとおりエビデンスはありません。これは揺るぎません。ごめんなさい。患者から「喉の炎症の薬はどれですか?」と問われたときに「これですよ」と言えるのがこれしかありません。なので前述した「何かださないと文句言われるから」というのはこの点において恐らくそういう意図があると思われます。
→あと、出すにしても容量に関して微妙な点があります。トラネキサム酸の投与量は添付文書上750mg~2000mgを3、4回にわけて内服(250mg~500mg を1日3回か4回)とあります。もし強い喉の痛みなら、患者感情としては量多い方がいいのにな、と思いますよね。そもそもエビデンスないので250でも500でもぶっちゃけ一緒なんですが、もしどうしても出すなら多い方が良さそうな気がします。ではなぜこれ500じゃなくて250なのかと言いますと、トラネキサム酸ってコロナが流行ると全国で処方されるのでどうしても品薄になるんですよね。それで少しでも多くの患者に行き渡るように250mgに減らして出すことがあり、恐らくこの処方もその一環かと予想します。
→SPトローチの名前で有名ですね。これの有効成分であるデカリニウム塩化物ですが、これは細菌に対する消毒作用はありますがウイルスに対しては効果は証明されていません。ごめんなさい。舐めると痛みが和らいだ気がするのは、唾液が出て喉がうるおうからです。喉痛いときに水のむとちょっと楽になったりしますよね。だったらのど飴でいいじゃん……と思ったそこのあなた。その通りです。
ではなぜ医師が処方したのか。あとあと「トローチください」と言われたら面倒だからです。忙しい外来の合間に、トローチは殺菌剤で、ウイルスには向かないんですよ、と説明する時間はもったいないですし、すべての患者様が理解できるとも限りません。むしろ出した方が全体の患者満足度は上がりそうです。
→おそらく「疼痛時に飲んでください」と注釈があるかと思います。たぶん。
仮にロキソプロフェン60mg 1日3回を7日間真面目に飲み切った場合、人によっては胃が荒れます(7日じゃなかったらすみません)。ロキソプロフェンには炎症を抑え痛みをとる作用がありますが、同時に胃の粘膜を薄くして胃炎や胃潰瘍を起こしやすくする作用があります。そのため胃薬を併用することが多いのです。ただ、3日間など短い期間だったり、1日1錠とかなら7日間でも問題ない場合がほとんどですが、1日3回7日間を胃薬なしに飲むと胃炎・胃潰瘍になる可能性があります。何日間から胃薬併用すべきかはエビデンスがないので処方した医師の匙加減になりますが、個人的には7日以上真面目に飲むなら胃薬併用した方がいいと考えています。(胃潰瘍の既往がある人ならもっと短くても)
→アンブロキソールは痰切り、レスプレンは咳止めです。記載はありませんが、恐らくコメ主様は「痰と咳もあります」とおっしゃられたのでしょう。たぶん。え……ちがいますか?違わないですよね。
まず、アンブロキソールは感冒の喀痰に対するエビデンスはありません。レスプレンは咳止めとして前述したメジコンにエビデンス的に劣ります。
ではなぜそのような薬が処方されているのか。まずアンブロキソールですが去痰薬として一般的なのがこれとカルボシステインしかないため選択せざるを得ません。「痰切りの薬はどれですか?」と聞かれたときに説明するのは面倒くさいので出します。どちらも感冒の痰にはエビデンスが乏しいです。
レスプレンはメジコンに劣りますが、コロナが流行している時期にメジコンはほぼ確実に品薄になります。なのでメジコンを避けてエビデンス的に劣るレスプレンなどの代替薬を仕方なく選択していると思われます。(それか咳止めについて全然知らないか。耳鼻科の先生ならこれもありえます。)
ちなみにメジコンについてですが、薬局で品薄でもドラッグストアで買える市販薬の方は全然在庫ある場合があるので、もしどうしても咳止めがないときは市販薬も見てみるといいです。
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◆ まとめ ◆
・トラネキサム酸はエビデンスありません。250mg1日3回は規定上の最低容量であり、その点も微妙です。
・ロキソニンを1日3回である程度の日数飲むなら胃薬があった方がいいです。短期ならなくてもいいかもしれませんが、人によっては胃が荒れます。
・レスプレンはエビデンス的にメジコンに劣りますが、メジコン品薄時の代替薬として処方されることがあります。
★ただし、これらは「病院・クリニックに受診すること自体が不要」という意味ではありません。喉の痛みが強く唾も呑み込めないときや長引くときは、細菌性扁桃炎等の追加治療が必要な疾患の可能性があるため、それらの場合は受診した方がいいと思います。
最近さ、「不快な男は視界に入るな」とか「女を人間扱いしろ!弱者男性は告白してくるな!」みたいな言説よく見るじゃん?
これ、歴史的に見るとマジで笑えないレベルでヤバいフラグなんだよね。結論から言うと、その「女性を守るための自浄作用」を極限までブーストして実行したのが、あのKKK(クー・クラックス・クラン)なわけ。
まず義務教育で教えるべきなのは、映画『國民の創生』(1915年)の罪深さ。
これ、当時の大ヒット作なんだけど、中身はとんでもないプロパティガンダなんだわ。
ストーリーの核: 「野蛮な黒人男性が、清純な白人女性に性的アプローチ(求婚)をする」ことを最大の悪として描く。
結末: それを「騎士」であるKKKがリンチで解決し、秩序を取り戻してハッピーエンド。
この映画のせいで、当時消えかかってたKKKが爆発的に復活。彼らは「白人女性の純潔を守る(=不適切な性的接近から守る)」という大義名分を掲げて、私刑を正当化したわけ。
「目を伏せないだけで殺される」という終着点
ここからが現代のSNS論客に聞いてほしいんだけど、この「女性の不快感」をトリガーにした排除のロジックって、どんどんエスカレートするんだよね。
最初は「求婚」がダメだったのが、次第に「話しかけるな」「こっちを見るな」になり、最終的には**「目を逸らさなかった」という理由だけで黒人男性がリンチ殺害される(エメット・ティル事件とかね)**暗黒時代に突入した。
これ、現代風に言えば「視線レイプ」の究極の物理的解決版でしょ。
「下賤な男は排除されるべき」という選民意識と、「女性の安全」という全肯定されやすい大義名分が合体すると、法も手続きも無視した暴走が始まる。
構造が似すぎてて怖いんだわ。もちろん性被害は守られるべきだけど、「不快な属性をコミュニティからパージしろ」って叫ぶとき、その先にあるのが「KKKの復活」だってことは自覚しといたほうがいい。
今日は土曜日の午後六時ちょうどに机に向かいながら、例によって高次圏論と物理の最新進展を反芻していた。
ルームメイトが昨日「ダイニングで静かにしてくれ」と言ってきたので、その間に∞-圏論の細部をnLabで読み返していた。
そこで目にしたのは、物理的空間・場のdynamicsそのものを(∞,1)-トポスという階層的構造の内部でformalizeする試みだ。
単なる空間ではなくsmooth ∞-Lie groupoidのような対象群が「射の射の射…」と無限に伸びていく構造として現れるのが、その本質だ。
これは単純な反強磁性体や普通のゲージ場ではなく、一般化されたゲージ理論を超えたhigher gauge theoryの本性を捉えようとしている。
物理量は、これら ∞-束のconnectionとして記述されるdifferential cohomologyとして扱われる。
そこではcharacteristic classから∞-Chern–Weilのホモトピー不変量が導かれ、それが∞-Chern–Simons的な作用汎関数の形をとるのだ。
境界理論では、たとえばChern–Simonsの境界にWess–Zumino–Wittenモデルが現れるような ホログラフィック原理的対応が示唆されている。
これは単なるメタファーではなく、境界とバルクが高次圏論的functorの関係として振る舞うという厳密な数学的構造に他ならない。
量子場の状態は、コボルディズムの次元に応じて n-ベクトル空間として与えられ、入力と出力境界の間に モルフィズム(射)が作用する。
この種の記述は、文字通り「物理過程そのものがmorphism階層になっている」というレベルの抽象化だと感じられる。
これは、従来僕が扱ってきた超弦理論を、単一のmanifoldの上で局所的に記述する標準的アプローチから完全に抜け出した見方だ。
午前中はいつもの通り、起床後のルーティンとして朝食、ホワイトボードに今日の研究目標を書き出すこと、そしてコーヒーの温度を正確に 62.5℃ にすることから始めた。
コーヒー温度の誤差が 1℃ を超えると集中が乱れるという僕のこだわりは、ルームメイトと度々小競り合いの原因になっている。
ルームメイトが言うには「コーヒーは熱くてもいいんだ」とのことだったが、僕は不変量としての最適味温度が存在すると考えている。
昼食後に隣人が急に訪れて「その白いボードは何?」と訊ねてきた。
僕はすぐに 2-圏と 3-圏の違いを説明し、射の射としての 2-射(自然変換)の階層化に物理的意味がある可能性を示した。
これは単なる装飾ではなく、まさに世界の変形可能性を記述するための鍵だ、と。
たぶん返ってきたのは困惑だったが、しかし理解できなくても当然だろう。
高次圏論では、対象 A と B の間の単なる関手に加えて、それらの自然変換、そしてその自然変換同士の修正(modification)まで扱う必要がある。
このような ∞-射の階層こそが、理論物理のdualitiesや ホログラフィー と整合的に振る舞う枠組みとして提案されつつある。
午後の後半は友人Aと友人Bを巻き込んで、最新の ∞-トポスの物理的意義について議論した。
僕が提案したのは、「物理的プロセスそのものを(∞,1)-トポス内のcohomological invariantとして捉える」という視点で、境界条件をfunctorial quantum field theoryのmorphismとして扱うと超弦理論のモジュライ空間の特性が見えてくる可能性についてだ。
議論はやや抽象的すぎて、友人Aが「結局何が物理的観測量なんだ?」と問い返してきたが、それこそが現在の僕の最大の関心事だ。
従来の量子化手法では手に負えなかった対象も、∞-圏的コホモロジーや接続といった高次束の言語で組織化できるのではないかと仮説している。
この日記を書く直前まで、いくつかの高次圏論的構造が超弦理論の背景依存性から独立した物理的実体として振る舞う可能性についてメモしていた。
これから取り組むべき目標は、その仮説を具体的な数式形式に落とし込むことで、例えば ∞-束上の connection の differential cohomology が超弦理論のモジュライ場の作用汎関数に対応することを実証することだ。
具体的には、境界量子場理論がバルク理論の高次圏的境界として普遍性を持つかどうかを検証する予定だ。
これが成功すれば、超弦理論の dualities や非可換的幾何の振る舞いが、より総合的かつ数学的に厳密な言語で表現できるようになるだろう。
さて、次はコーヒーの温度を 62.5℃ に戻すためのサーモスタット校正と、さらに数時間にわたる (∞,1)-トポス内のcohomology ringの計算だ。
僕は今、机の上のホワイトボードマーカーを角度45度で揃えたところだ。共形対称性を扱う人間が、文房具の対称性を破るわけにはいかない。
今日はちゃんと進んだ。前回までの「なんとなく高次圏」みたいな曖昧な飛躍はやめた。出発点を正確にした。
弦理論とは何か。1次元対象の量子化ではなく、2次元共形場理論としての世界面理論だ。そこが基礎だ。
午前は Polyakov 作用からやり直した。世界面上の2次元シグマ模型として定式化し、その量子共形不変性が破れないこと、つまり Weyl 異常が消えることが臨界次元を決める。
ボソニック弦なら26次元、超弦なら10次元。これは美的条件ではない。β関数が消えるという再正規化群の事実だ。
重要なのはここだ。β関数が消える条件は、背景時空の計量がアインシュタイン方程式を満たすことと同値になる。
つまり重力は仮定ではなく、世界面の量子一貫性から強制される。これは構造的必然だ。ここが今日の再確認ポイント。
午後はモジュラー不変性を整理した。閉弦の1ループ振幅はトーラス上の共形場理論として計算される。
その分配関数がモジュラー群 SL(2,ℤ) に対して不変でなければならない。この条件がスペクトルの整合性を制限する。単なる計算技法ではない。理論の自己整合性のテストだ。
さらに Dブレーンを再検討した。開弦の端点条件から現れる高次元膜状対象。ここで初めてゲージ理論が自然に出る。
弦理論は重力を含むだけでなく、ゲージ理論も含む。そして Dブレーン電荷が K理論で分類されるという事実。
これは単なる偶然ではない。場の強さではなく、トポロジーが電荷を決める。
僕が今日掘り下げたのはここだ。弦の分配関数と楕円コホモロジーとの関係。Witten genus がスピン多様体からモジュラー形式への写像を与えるという構造は、世界面のモジュラー不変性と深く響き合う。
まだ完全な物理的解釈は確立していない。だが、弦理論の自然な分類空間は通常のコホモロジーよりも高次の一般化コホモロジー理論にある可能性がある。これは誇張ではない。数学的事実の延長線上の仮説だ。
ルームメイトは今日、「弦理論ってまだ実験で確認されてないんだろ」と言った。正しい。エネルギースケールがプランクスケール付近だから直接検証は不可能に近い。
だが理論の価値は実験可能性だけでは測れない。内部整合性、双対性構造、低エネルギー極限での既存理論の再現性。そこは評価できる。
隣人はホワイトボードのトーラス図を見て「ドーナツ?」と言った。僕は「モジュラー不変性」と答えた。彼女は理解していないが、円環構造は美しいとだけ言った。それで十分だ。
友人Aはブラックホール情報問題の話を持ち出した。AdS/CFT対応の話に進んだ。
重力理論と境界上の共形場理論の等価性。これは弦理論から出てきた最も強力な具体的成果の一つだ。
重力がホログラフィックに記述できるという主張は、少なくとも理論的には精密に定式化されている。
友人Bは「結局、弦は本当に存在するのか」と言った。正直に言えば分からない。弦は基本実体かもしれないし、有効理論の表現かもしれない。
ただし、世界面共形場理論の数学的構造がこれほど豊かで自己無撞着でないという事実は無視できない。
習慣について。金曜日22:30には必ず机をリセットする。今日は世界面のトポロジー別にノートを分類した。球面、トーラス、高次種数。種数展開は摂動展開に対応する。整理整頓は摂動級数の収束半径を広げる。少なくとも心理的には。
これからやること。超弦理論の5種類(Type I, IIA, IIB, heterotic SO(32), heterotic E8×E8)が双対性で結ばれている構造を、M理論的11次元極限の観点からもう一度整理する。
双対性は偶然の一致ではない。理論空間の異なる極限が同一の基礎構造を共有しているという兆候だ。
今日は前回と違う地点にいる。曖昧な造語はない。あるのは、世界面の共形不変性、モジュラー対称性、アノマリー消去、双対性、そして未完成の統合理論。
飛び降り自殺した人を轢く(撥ねる)、そして最終的には不起訴ながらも一旦は逮捕されるということがあるそうだが、車の上に落ちているとみなせるパターンもあるよね。
実務的にその境界はどこにあるのか。
セダンタイプの車で一番最初に身体が当たったのが窓の斜めの部分だったら、その衝突には厳密には車の速度方向の力が身体に作用してているという、撥ねたときと同じ物理的状態になっていることになる。
ただ窓の角度によってその力の大きさが異なるだけだ。
わかりやすくいえばトラックなら最初にぶつかったのがまだ窓、つまりまだ着地していないときであっても、直観的に撥ねたことになるのは明らかだろう。
どのぐらいの角度になっているところに衝突したら轢いたとみなされるのか。またかなり浅い角度でも窓の上側の方でぶつかって体のほとんどが天井に乗る場合と、もっと落下が進んでいるときに衝突したとかで、順次体の各部分と窓の各部分が衝突していくわけだが、その身体にとって衝突点の大部分が車の窓にあたる場合、直観的には身体の半分程度以上が窓にのっかっる状態になる場合は轢いたことになるのか?
dorawiiより
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性犯罪者が病気なのだとしたら他の犯罪者が病気でない理由は何なんだ、という気分になる
病気だとしたら、応報的に刑罰を科す正当性が消え去るんじゃないのか、とも思う
論点がいくつかあるな……こういうときはさくっとChatGPTに聞く
①性犯罪のみを病理化する説明は、他の犯罪との比較に耐える一貫性を持つのか
②病気モデルは、自由意思・責任・応報という刑罰の前提をどの程度掘り崩すのか
③応報を退けた刑罰は、矯正・治療・再犯防止としてどこまで正当化可能なのか
④回復不能な被害が要求する規範的評価(非難・応報)と、治療・管理中心の処遇が採用する技術的合理性との乖離はどこで回収されるのか
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以下を見て思ったメモ
「『出たら大丈夫そう』と聞くと『またやる気がする」刑務所で性犯罪者に対する再犯防止プログラムに効果の無さを指摘する意見が集まるが、もはや「病気」ではないのか? - Togetter
考えを吐き出してメモしないとずっとそれを考えてしまって他の作業が滞る
禁酒とランニングを始めた時期と激辛を食べられなくなった時期が一致しているが何か関係があるのだろうか
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ふと思ったが、ロボトミー手術について調べると面白いかもしれない
interestingの面白い
薄く関連性があるような 歴史など読みたい 示唆的なものがひょっとしたらあるかも
うーんちょっと違ったか 歴史を読むこと自体は面白いけどちょっとこの話題とは遠かったか
「治療によって治療される人の人権が損なわれる場合、どうなる?」という前例になるかもという予感があったが別の話題だった
なんかロボトミーの話題深掘りしたら再接続するかもだし、他の医療行為とかでこの話ありそうな気がするから別件で調べて本読みたい
もしも治療で不可逆的に人格が変容したのであれば(変容前の本人の同意があったとしても)その人格が消え去るのが居心地が悪いというか もしも連続していないと考えると、それは死刑的性質……言葉が強すぎるが……を持っているんじゃないかというか、みたいな ←化学的去勢は可逆的だった気がするし人格が変容するほど大きな作用は生まないんじゃない?詳しく調べた方がいいよ ←わかっとるわい、調べます、それはそれとして求められる「治療」って究極そういうことにならんか?という言語化できていない違和感があって…… ←その「治療」による人格変容ってカウンセリングや教育などによる「反省/更生」した人格変容と何が違う?
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・ここでいう治療が一見慈悲的なように見えるが、実際は処罰感情からくる刑罰的性質で求められているんじゃないか(「去勢」という強烈な字面)
・もしも侮辱的性質を持つ病気呼ばわりが混じっていたとしたら、実際に病気扱いされると処罰ではなく治療がされるので処罰感情を満たせなくなるのは皮肉な構図では
も気になる
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「言われる相手が重犯罪者だったとしても、他人に対して死刑とか厳罰に処せとか好き勝手言われているのを見聞きするのが嫌だ」みたいな話が私の心の中にあり、誰かに「処罰感情を律せよ」と直接言うと説教でしかないので屈折した形でこのような疑問として昇華されている自覚がある
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「病気によって犯罪行為を行ったとしても、病気であることは完全免責の理由にはならない」という話は当然ある 自分も完全免責になるとは思っていないし 責任能力はグラデーション 何かで見たな……事件当時なんらかの精神疾患があったのは間違いないが犯行に及ぶ判断能力/責任能力は持っていたとみなされたので死刑ではなく無期懲役判決、みたいな事件……たしかwikipediaのページをブクマしていたはず……あとでgrepする……熊谷連続殺人事件か
でもそこじゃなくて自分の興味は刑法における自由意志の話なんだよな ここが論点の①と②に接続する気がする だから性犯罪以外が病気かどうかは実はどうでもいい 自由意志について考えるとっかかりでしかないので
犯罪者を治療が必要な病人扱いというのは、刑法/責任能力を成り立たせる前提の自由意志というフィクションの崩壊に一歩近づく判断なんじゃないのか、という気がして
そのことに意識的になったうえで病気扱いしている?というヒヤヒヤ感というか
この犯罪行為は自由意志によって行われた(人災的)/自由意志でない要因で行われた(天災的) (責任能力は本来グラデーション的だが簡単のため二分する)
に分類できるとして、医学など科学の発展で後者に分類できるそれの割合がどんどん増えていくとしたら、それは厳罰化とは逆の方向なのではないか 心神喪失による無罪とか減刑とかにすら猛烈な反発があるのに
厳罰化の犯罪抑止効果は限定的、という話があるから自分としてはそれはいいんだけど、納得/安心/説得的な説明を人々に行うことができるのかどうか
「自由意志は存在する/しない」のダブルシンクを行えているうちはいいんだけど
まあもちろん自分の認識誤り、ここらへんの理解が全然違う、入門書読み直せみたいな話かもしれない 積読タワーがどんどん増えていくよ~
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自由意志をめぐる葛藤2:学んだ末に迷路。本の紹介など。|手記千号
ここで挙げられた参考文献全部読みたいな~
もっと基礎から体系的に学びたさもある トリビア的に興味があるところだけつまみ食いは後で自分自身を苦しめる
しかし、取っつきやすさもまた重要 前述のnoteで挙げられた、『人が人を裁くということ』が新書で手に取りやすそうだ……kindle無し!
じゃあamazonで「よく一緒に購入されている商品」でピックアップされている『増補 責任という虚構 (ちくま学芸文庫)』を……「2024年9月27日にKindle本を購入」! 積んでた~
今『ローマ教皇 伝統と革新のダイナミズム (文春新書)』を読んでいる最中なのよ 読了するまで待ってくれる? 「いいよ♡」 ありがと♡ じゃあ次に読む予定だった『三位一体―父・子・聖霊をめぐるキリスト教の謎 (中公新書 2866)』は後回しということで…… 「ひどい」
西洋で発展した概念を知るうえでキリスト教的考え方を知っておかないとどうにも腹落ちしないような気がしているので、最終的にはどちらも絶対読むから許して
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決定論/非決定論/応報主義/一般予防主義/特別予防主義/相対的自由意思論/責任主義/時計じかけのオレンジ(注:キリスト教の自由意志概念と刑法の自由意志概念の混同に気を付ける事)
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ChatGPTにこの文章の危うい点を箇条書きにまとめてもらったので以下にメモ
・「治療による人格変容」→「人格の死」「死刑的性質」への連結は比喩が強すぎる可能性。人格の変化・断絶・消滅は別概念。定義を曖昧にしたまま飛ばしている。
・現実の医療・治療の多くは可逆的・限定的であり、「人格を書き換える治療」を仮想的に肥大化させて批判している恐れあり(藁人形化)。
・医学的治療による人格変容と、教育・更生による人格変容の原理的差異を未整理。「何が違うのか」を言語化しないまま直感に寄っている。
・「治療」という語に、処罰感情・侮辱・排除欲求が必ず混入しているかのように扱っているが、社会防衛・再犯防止など非応報的動機まで一括りに疑っている可能性あり。
・自由意志が医学的説明の進展によって一方向的に崩壊するという前提が強い。実際には刑法はすでに相対的自由意志・責任能力のグラデーションを内蔵している。
・全体に、思考実験(極端ケース)と現実制度批判が混線している。「もし究極的にそうなったら?」と「今の制度はどうか?」を分けて考える必要あり。
とっちらかりすぎたので、まとめなおすならどの単位かをChatGPTに聞いた結果をメモ
整列されたユークリッド平面の上で正三角形みたいに礼儀正しく座るやつらには興味がない。
むしろ位相が破れて、カップの持ち手が非可換群みたいに左右で順序依存になる、あの感じだ。
紅茶を注ぐ順番で宇宙の因果が変わる。砂糖を先に入れるか後に入れるかで時空の曲率テンソルがわずかにねじれる。そういう無意味に厳密な差異が好きなんだ。
あれは単なる比喩じゃない。時間パラメータ t がコンパクト化されて S¹ になっているだけだ。
周期境界条件つきの狂気。だから6時から抜け出せない。ハミルトニアンが自己共役である保証なんて最初からない。スペクトルは離散でも連続でもなく、たぶん気分依存。
眠りネズミは測度ゼロの存在。ほぼ至る所で寝ているが、厳密には存在している。
そして俺は、観測者だ。だがコペンハーゲン解釈には与しない。波動関数は収縮しない。お茶会は多世界分岐する。
AテーブルとBテーブル、Cテーブル……。各テーブルで砂糖の数が違い、各テーブルで会話の位相が異なる。
だが全体はひとつの巨大なヒルベルト空間に直交分解されている。
まともな社会は、対称性を保存しようとする。保存則が美しいからだ。エネルギー保存、運動量保存、礼儀保存。
だがあのお茶会はノーターの定理を無視する。対称性を破ることでしか見えない秩序がある。
自発的対称性の破れ。真空期待値がずれる。狂気は真空状態の選び方に過ぎない。
俺は後者がいい。
イカレタ連中が、非可換な会話を交わし、トポロジカル欠陥だらけのテーブルクロスの上で、因果律をこぼしながら笑っている。
そこでは論理は破れているが、破れ方が一貫している。自己矛盾すら内部整合的だ。ゲーデルもにやりとする。
あのお茶会は、その中間にある。カオス的だがアトラクターを持つ。
初期条件に鋭敏だが、なぜか6時に戻る。ストレンジアトラクターがティーカップの底に渦を巻く。
なぜなら宇宙そのものが、巨大な未完成の証明であり、われわれはその補題にすぎないからだ。
証明はしばしば脱線する。だが脱線の軌跡にこそ、構造が浮かび上がる。