はてなキーワード: 「a」とは
※誰かを攻撃する意図はありません。自分自身の整理と今後、誰かが同じ状況になった際の判断材料として記します※
※「」内に関しては発言を書き起こしたものではなく、そういう趣旨の発言であったものになります※
そのインフルエンサー(以降「A」とする)がどんな人かと言うことをざっと並べると、
・当時推しの名前をXで検索すれば、そのインフルエンサーの投稿がトップの方で表示される
そして
推しと出会う以前・以後のビフォーアフターを写真付きでかなり赤裸々に明かしていた
…といった感じ。
影響力の大きい人だというイメージはあったけど、
Aはある日を境に
「ライブチケットで良席を得て、推しからファンサをもらえたのは“引き寄せの法則”を利用したから」
といった投稿を始める。
※引き寄せの法則とは、
今自分の手元にない欲しいものを“すでに持っている”ものと意図して生活していたら、
思いがけない形でそれを得ることができちゃうよ〜みたいな法則(ざっくり)※
その頃くらいから、
引き寄せの法則にまつわる発オンライン講座を少額(ワンコインほど)で複数回開催し始める。
当時の講座も受けたことがある。
AはSNSで見る姿と変わりなくよく喋るが、面持ちからは緊張を感じた。
講座自体もしっかりした作りで、私はAに人間味を感じ、さらにAを信頼することになる。
講座を受けた人たちの引き寄せたものの実績もみるみる積み上がっていった。
ほどなくしてAは、
長期かつやや高額(型式が古くて5万キロ強走行した中古車なら1台は買える額)
な講座を主宰することになる。
そこにいる人々の様々なビフォーアフターも講座宣伝よろしくタイムラインに流れていく。
“それなりの幸せで満足しなくていい、もっと私たちは欲しがっていいんだ”
『もしかしたら私も変われるかもしれない』という気持ちは膨らんでいく。
だがいかんせん、値段が高すぎる。
興味はあるけど、参加は見送るつもりでいた。
某日、Aが
「講座自体はとてもいいものになっているのに、思ったより集客が伸びない」
というような弱音を吐いたことがあった。
記憶はかなり朧げなので内容は正確ではないが、
その時点で絆された私は、飛び込みで講座の受講を決定。
契約書もろくに読まず記名し、受講料を払った。
これで人生変わるんだ、と本気で思った。
『私なんかが…』と遠慮して受け取れなかった様々に手を伸ばせるようになった。
この機会じゃなきゃ出会えなかった人と、
そこに対してはAに感謝している。
ただ、この話はここでは終わらない。
ある講座生(Bとする)が Aに対して声を上げた。
「私は提出した課題に対して、Aさんからフィードバックをもらいたくてこの講座に入った。
それがないならここにいる意味がない。引き寄せを勉強しようと思うなら、本を読めばいい。
そうではなく、Aさんから学ぶことに対してもっと意味のあるものにしたい。なんとかならない?」
講座生は各々課題を提出するわけだが、Aからのフィードバックは無かった。
Aが提出された課題に添削して、その添削が見える環境にしてしまうと、
講座生同士で提出した課題に関して意見交流してもらうのを優先しているためだった、
Aの主張も、Bの主張もわかる。
私はBと同じく消費者として、
この流れに期待感を持っていた。
しばらくそのやりとりは続き、Aのある発言で空気がガラッと変わる。
「けど私からのフィードバックがないと意味がないって思うのは、Bさんの課題なんだよ」
「買い手としての一意見が、私の精神的な許容量の問題って言いたいってこと?」
Bは声を荒げ、Aは「そういう意味じゃない、間違えた」と切り返そうとするが、
A本人から個人のキャパの問題だと一蹴され、なあなあに決着をつけられてしまった。
この一連の流れに、私は事業者としてのAに不信感を抱くようになる。
その後も、
講座生に向けた講義とは別の配信でAがBに対して苛立ちをぶつけるような場面
・Aのオープンハートとも取れるが、見方によっては講座生に対する雑な扱い
・私欲を満たすために講座生たちが払ったお金を使われたのち、
講座受講期間中にAから「金策に困っている」というような発言を何度も聞いたこと
などの出来事も重なり、
私は特に「お金がない」という話を聞き続けた結果、精神的に疲労してしまった。
講座を履修したら継続で入れるサロン(月額も決して安くはない)があったが、
退会を決め、Aの事務局に申し出るも、申出から退会の受理までの対応に1ヶ月以上かかるなど、
退会を申し出てからの1ヶ月分のサロン月額料金は請求されなかったことから、
これを機会にAから離れ、学んだこと以外は忘れたように過ごそうと思っていた。
しかし、
ある時のタイムラインでAの過去の投稿について、糾弾するアカウントを見かける。
著しく良識に欠けていて、推しの人権を侵害しているという趣旨の発言と、
インフルエンサーとして好感を持った側面でしかAを知らなかった私は、
どうやらとんでもないことに首を突っ込んでいたらしいとようやく気づく。
ただ、講座を修了している以上、できることはほぼないに等しいのも安易に予測がつく。
悩んだ末、ネットで調べた情報をもとに、地域の消費生活センターに相談してみることにした。
になる。
同じようなケースの人がここにたどり着いた時のために記載しておくが、
消費生活センターの窓口相談を利用するには電話予約が必須なので気をつけて欲しい。
私は電話口で説明できる自信がなかったので、窓口相談を利用した。
契約書や、 Aの事業用のHPなどをかき集めて相談した結果の見解は、以下の通りになる。
代表者氏名が未記載であることから、事業者としての信用性は極めて低く、悪質性は高い。
・決済手数料の扱い
支払い方法によっては、規約外である手数料が上乗せされていることも問題である。
・返金対応
最初に説明されたカリキュラム通りに講座自体は進行していたことから返金は求められない。
また、通信契約の特性上、契約書の規定が優先されるため、返金を求めることはできないという結果。
(契約書にいかなる理由でも返金には応じないといった趣旨の記載)
説明された内容と実際の講座内容に明らかな乖離ががある証拠がない場合は、返金は厳しい。
無いに越したことはないが、同じケースに鉢合わせた場合は、不信に感じたその時に相談して欲しい。
センター自体に強制力はないが、今後Aに関しての相談件数が増えた場合は指導が入る可能性はある。
消費生活センターとしては、本件は“霊感商法による被害”という位置づけになるらしい。
誰でも被害者になりうるというお話も相談員の方からお伺いした。
困っている人がいたら、ぜひ電話でも窓口でも相談してみては、と思う。
被害者に限らず誰でも申し出は可能だが、金銭トラブルの解決は目的としていない。
契約書上の“この契約は消費者契約法や特定商取引法の適用を受けない”という記載に対して、
“法律(強制法規)が優先されて効力を持たない”という意味では、 法律違反にあたる可能性がある。
(本件を具体的に相談した結果ではないので、あくまで 可能性という結果にはなる)
という感じだった。
・現品を見て買えないものは、買う前にとにかく情報を集めましょう。
・良い口コミばかり出てくるものはめちゃくちゃ疑った方が良いです。
・そのインフルエンサーのことが好きでも、
・同じ買い物をした人たちが同じように消費者として傷ついていたら、
もし勇気があるなら手を取り合って、声をあげてください。
でもその人から買い物する時は疑って欲しい。誰かが私と同じように傷つく必要がない。
勉強代としては決して安くはなかったが、
“信頼と契約は別物”という教訓をこれだけ大騒ぎして得られたのは、
まぬけではあるが。
Aは今でもどうやら、講座を主宰しているらしい。
私はもう離れてしまったけど、
Aなりに楽しんで推し活するんだろう。
チャーミングな人だった。
ようやくこれを書き上げた。
この件に対してのモヤモヤをここに置いて、
もっと身軽にやりたいことを楽しむつもりだ。
うん、悪くない響きだ。
これ以上、この件については
追求することはありません。
ただ、いつかの誰かにこの記録が
役立てばこれ以上のことはありません。
B含む講座生のみんなにも、
あの時タイムラインで見かけた投稿者の方にも、相談員さんにも、
そして、 Aにも。
ありがとうございました。
ばいばい。
いきなりMacだけ支給はつらいよね…。ポイントだけサクッと。
・アプリ間の切り替え
→ command押しっぱなしで tab をトントンすると順送り、
Mac: command(⌘) + `(数字の1の左にあるキー)
アプリごとのウィンドウだけ見たい場合は control + ↓
この3つ覚えれば、とりあえず Alt+Tab 周りのストレスはかなり減るはず。
[2] Ctrl+Backspace で ATOK の変換結果を Undo したい
Windows だと
「確定をやめて入力中に戻す」= Ctrl + Backspace
がデフォルトですよね。
です。
atok.com
・Macの「delete」キーは、Windowsでいう Backspace(左側を消すキー)なので、
MacBookのキーボードなら「control を押しながら delete」でOKです。
・注意点
確定直後じゃないと効かない(間にカーソルを動かしたり別の文字を打つとNG)
atok.com
効かないアプリもたまにある(ATOK公式もそう書いてます)。
もし効きが悪かったら、
メニューバーの「あ」/「A」アイコン → ATOKメニュー → 環境設定 → 「キー・ローマ字カスタマイザ」
atok.com
[3] 「WinでできてMacでできない」問題がつらいときの小技
ざっくり挙げると、
・ウィンドウ最大化が弱い → 「control + command + F」でフルスクリーン
・Windows風のショートカットに寄せたい → Karabiner-Elements でキー入れ替え
・ウィンドウスナップ(Win+矢印)欲しい → Rectangle みたいな無料アプリを入れる
あたりを入れておくと、かなり「Windows脳」でも生きやすくなります。
とりあえず、
command + `
この3つだけ、まず指に覚えさせるのがおすすめ。
プログラミングとは、勉強も運動もスマブラも下手なクソ隠キャ中学生が「俺もパソコン1台で凄い技術者になって…!」とワクワクしながら始めるものの思ったより普通に難しいし学校の試験で出たような知識要求されるしで3日で放り投げ、10数年後にnoteで「お前らは絶望的にプログラミングに向いてないからやめろ」なんて記事を書くだけのザコに成り下がる、夢と希望に溢れた技術である。
近年ではパソコンのスペックの上昇にともないできることも増え、どこのご家庭にもあるRTX2080で簡単にディープラーニングもできるようになった。Unityで3Dゲームをバリバリ動かしてもブルースクリーンは出ない。やっぱ世界を広げるのは小賢しい知恵よりもスペックの暴力だぜ。
開発環境や言語も選択肢豊富で、エディタもかつては有料クラスでも手に入らなかったような贅沢な機能が満載のものが出回っている。Eclipseとか今考えるとよくあんなので開発できてたな。
いまや小学生からおばあちゃんまでアプリ作りに熱中し、高校生はIoTとかやり始め、大学生は商業レベルか?ってレベルのものをネットで発表し、私はウェブアプリのスマホでのレイアウト崩れひとつすら直せず静かにエディタを閉じてnoteで過激タイトル記事を書いている。
掛け算に順序があると思っているような知能の下級雑用係(自分のことを教育専門職だと思い込んでいる)ですら「小学生にプログラミングを教えるぞ!」と意気込んでいる。やめろ。お前らには無理だ。無理だからマジでやめろ。考え直せ。無理だって。掛け算に順序つけないと相手に教えられないレベルのやつがプログラミング教えるのマジで無理だって。算数とは次元が違うって。「ピーチ姫いつも簡単に誘拐できるし今度はベヨネッタも誘拐してみるか」ぐらいの無謀さだって。やめとけ。マジでやめろ。
まあそんなこんなで入り口はめちゃくちゃ広く、入門するのはマリオカートより簡単である。話逸れるけどSwitchのマリオカート、運転アシスト機能ついて初心者でもコース完走できるようになったから心折れちゃった人ももう一度チャレンジしてみてね。
それとは特に関係ないんだけど、大学行ってた時ティーチングアシスタント(TA)っていう授業のお手伝いさせられたのよね。ちゃんとお金出るやつ。
学部の3年か4年から始まって、院の1年か2年までやってて、途中で休学挟んだから、ええと、あー、うん、数年間TAやってたんよ。数学とプログラミングのコマ。CとOctaveとかいうやつ。Cのほうは情報学科で、Octaveは違う学科。JavaとかC++のコマはTA入れさせてもらえなかった。
プログラミングの実習は週2コマ(連続)あって、情報学科なら必修科目。なのでサポートは相当手厚く、先生とTAが絶え間なく机間巡視し、わからないことがあればセンパイがなんでも答えてくれるというわけだ。授業外でもサポートはしており、わからなければ先生や研究室にいる学生に好きなだけ聞きにいっても良いということになっていた。必修だから落とされたら困るしな。
2コマだから3時間 * 15回で、45時間。そして私の時は2年まででC/C++/Javaと必修だった(今はなんの言語かは知らない)ので、その3倍、135時間は最低やることになる。プログラミング実習以外にもプログラミング触る授業多いから実際はもっと多い。宿題やる時間もあるので実際はもっともっと長くプログラミングに触れることになる。卒論書く時期に入ると、テーマによっては書く人はさらに書くので、もっともっともっともっと長い。
これだけ時間をかければほとんどの人がプログラミングできるように……ならない。むしろできない人の方が多い。なんで。why。教えて。
会社になるとさすがにプログラミングできるできないは死活問題である。
「今日から入ったxxでーす。業界未経験ですがよろしくおねがしまーす。さっそくなんですけどPythonのここわかんないんですけどどうすれば……あっそうすればいいんですね。次はここなんですけど……なるほど!ありがとうございます。じゃあまた明日ー」
いやー社会人にもなると熱意が違うね。学生なんかわかんなくてもほとんど聞きに来ないのにな。こりゃガンガン伸びますわ。私も社会人1年生でPythonなんて3秒ぐらいしか触ったことないから適当答えてるけど。
「ちょっとお時間よろしいですか?」「いやちょっと今忙しいから後になっちゃいますわ。すんません……」
そんなこんなで1週間ぐらい放置してしまった。やべー絶対嫌われる。どこまで進んだかな……?えっまだそこ?進んでなくない?
もしかしてこれ全部教えないとダメなやつか。そりゃ大学4年間プログラミングやったやつでもプログラミングできないんだから、そうか。よく考えると当たり前だよな。
プログラミングをやめろ
大学4年間と大学院2年間プログラミングやったやつでもできないし、会社で毎日8時間を数週間プログラミングについやしてもできないやつはできないし、そもそも人類というのはプログラミングできない可能性がある。
少年少女たちに「プログラミングはいいぞ!自由にものが作れて達成感がある!頭が良くなった気分にもなれるし!」と吹聴してまわんのもいいけど、6年間情報科学について勉強したようなやつの大半がプログラミングできないんですよ。それもごくごく初歩的な部分。
野球とかサッカーなら、まあ友達との試合には参加できなくてもごく稀にバットにボールを当てたり、ボールを1回あらぬ方向に蹴ったり、ぶっちゃけ周りとのレベル差で楽しくなくてすぐやめちゃうだろうけど、なんとか基礎の一部ぐらいはできるじゃないですか。
ピアノとかダンスでも、猫踏んじゃったをごくごくゆっくり弾くぐらいはできるかもしんないし、学芸会の振り付けを10秒ぐらいは踊れたりできるかもしれない。その後やっぱ周りのレベル見て諦めちゃうかもしんないけどさ。
プログラミング、6年やってミットを頭にかぶってるバッターとか、鍵盤蓋の上から殴って音鳴らそうとするやつとか、まずそういうレベルのやつが大量発生するんですよ。だいたい7割ぐらいの率。どうすんだよこいつら。私の教育の問題か?マジで?本当に?
プロが練って考えて凝縮した本や授業、センパイたちによる指導。それらを結集して得られるはずのものが7割ぐらいどっかに消し飛んでる。無駄だろこれ。
今からプログラミングやろうとしてるやつ、お前は確実に向いてないからさっさと諦めて刺身にタンポポ乗せる仕事に戻ってくれ。参加しても鍵盤蓋叩き割るやつと同じ病室に入るだけだ。
プログラミングをやめろ。
ぼくはこう思うんですよ
そもそもなんで大の大人がそんな両手にバット持ってセカンドに立ったりゴールの方をボールのところまで動かす奇行に走るんだろうな。わかんねえや。
綺麗な分析はできないけど、いわゆる「できない」やつが共通して言ってたフレーズがある。
「ぼくはxxxだと思ってるんですけど、動かないんですよ」
うん、そうだね。そう思うんだ。でも動いてないじゃん。じゃあ違うんじゃない?モニターに「にらみつける」やってもバグは取れないし防御力下がるだけだぞ。
まず根本的に考えと事実が違ってるって結果出てるじゃん。じゃあもう考え変えちゃえば早くない?
名言の引用は好きではないけど、「プログラムは思った通りには動かない。書いた通りに動く」って言葉がある。実に名言だと思う。次点で好きなのが「ある問題を解決しようと正規表現を使うと問題が2つに増える」かな。
お前が何を思っているかはプログラミングにおいて一切影響しないんだよ。お前が何を書いて、コンピュータがどう処理したか、それが全て。
深く考えないことについてぎゃーぎゃーいうやつもいるけどプログラムなんてまず最初は動けばいいんだから何も考えずに次試せばいいだろ。んで3回ぐらいは自分で思い浮かんだの試して、全部ダメだったら調べるとか先生に聞いてみるとかさ。逆に1発で通ったら自分の思考見直して理解深めるとかさ。
ドキュメントとかあんまり理解できない初心者のうちは、とにかくお試しと修正のサイクル回すの重要で、「これがこうだから動くはず」というカードを3種類ぐらい作って全部片っ端から試すのが早いと思うよ。モニターをにらみつけるな。
お前がどう思ってるかよりも、まずはお前の書いたプログラムがどう動いているか(どう動いていないか)を確認するのが先だ。動かなかったら考えが違う、はい次のプラン、はいその次のプラン、はい次。
この「ぼくはこう思ってる」が出てくるの、なんの教育の成果なんだろうね。お前の気持ちなんてどうでもいいって現国でも数学で散々教えられただろ。
Error: variable 'a' is undefined, line 24
↑のエラーは架空のエラー文(英語下手でも許して)だけど、エラー、出るよね。プログラム組んでたら。んでやっぱいるのよ。エラーを「にらみつける」やつ。解決しねえって言ってんだろ。
「エラー出たんですけど、どうすればいいんですか」
「エラーにはプログラムがなぜコンパイル通らないかの原因がそのまま書かれている。例えば今出ているError: variable 'a' is undefined, line 24は、24行目の変数aが未定義ということを示している。事前に変数aを定義していないか、打ち間違えてsになっているとかではないのかな?」
だいたいが「腑に落ちねぇー」みたいな顔する。まあ、一気に喋りすぎたしな。疑問点1個1個潰していくか。
「何か疑問点ありそう?変数ってなにー、とか、定義ってなにー、とか」「ないです。わかりました!」
わかったのか。よかった。またモニターをにらみつける開始。なんでだよ!!!!「お前顔にチョコついてるぞ」って言われたらチョコ拭き取るだろ。変数aが未定義ですねって言われたら変数a定義すりゃいいだろ。
でもプログラミングド下手なやつ(全人類の7割ぐらい)は、エラーをにらみつけてる。ずっとにらみつけてる。防御力下限まで下がったかな。にらみつけてて何が変わるんだよ。
「英語読めなくて……」
いや「a is undefined」なんて「He is Superman」ぐらいの英語だろなんで読めないんだよ。お前この大学どうやって入ったんだよ。たしかどの入試方式でも英語あっただろ。単語わからんかったらググれ。
「aが未定義って書いてあるんですけど、ここのfor文の私の考えが間違ってるのでしょうか」
いや24行目のaって書いてるだろ。まずなんでそこ無視するんだよ。お前がfor文で使ってんの教科書通りのiだろ。24行目ってわかるか?for文あるの40行目あたりだよな?aとiが違う文字ってわかるか?
「さっきのエラー直したら新しいエラーが出たんですけど、どうすればいいですか」
千尋!贅沢な名だねえ
変数に名前をつけろ。関数に名前をつけろ。クラスに名前をつけろ。全てに名前をつけろ。
C言語の古い教科書だと「a」とか「b」とか「i」とかで書いてるけど、そんなの人間が読めるわけねえだろ。冷静に考えろ。「input」「output」「index」とかにしとけ。
2重for文の変数名i, jにしたら絶対途中で打ち間違えるだろ。お前は打ち間違える。そういうやつだ。2重ループなんてどうせ行列計算の課題だろ。rowとcolumnにしとけ。これで打ち間違っても気づくし、それぞれに意味が付いてくる。
ちなみに同じ長い名前にも優劣がある。「result」よりも「sum」のほうが強い。「result」はなんの結果かわからない(全ては結果であるので)が「sum」は合計値であることがわかるからだ。「password」と「plainPassword」なら「plainPassword」が勝つ。暗号化されていないパスワードであることがわかるので、情報量が多いからだ。
ただし例外はいくつかある。「tmp」は一時変数であることが(プログラマにとって)明らかだ。「dir」はディレクトリであることがわかる。「src」「dist」あたりもよく使われる。このあたりは短くていいんじゃねーかな。
でも、この前温度センサ扱うプロジェクトで「tmp」って変数名使って温度(temperature)と脳内で混線してバグって発狂してた同僚いたけど。そういうときは名前長くするか別の名前使おうな。
関数の名前なんて「calcAverageFromArray」ぐらい長くしていいから。「myFunc」とかしなくていいから。「fetchJsonDataFromUniversityInternalServer」とかでいいから。マジで。いやこれ本当に。
そもそも今時ディスプレイでかいし、識別子なんて先頭数文字打ったらエディタが補完してくれるし、短くするメリットがない。
それでも名前が長いと感じる?関数がでかすぎるんじゃないか。細かく処理を分けるとかしてみろ。「combineArrayAndFindMax」関数は「combineArray」と「findMax」に分割したらいいと思うぞ。名前が長いと思っても名前を削るな、機能を分割しろ。自然と名前が短くなる。
それかシンプルでかっこいい名前を見つける。「convertEvilHtmlToPeacefulText」は「sanitize」に置き換えることができる。イカす名前だ。
プログラミングできない奴はマジでこれらのことをやらない。ずっとaとかbとかzとか使ってる。お前それ自分で読めんのか。読めねえだろ。myfuncってなんだよ何するんだよ。お前自分で理解できてんのかそれ。
それでも頑なにaとかbとか使う。なんでだよ。
動作原理わからず書き散らすな。動作原理っつってもそんな深いところじゃなくて言語表面上レベルの動作な。
リテラルは値を作成して、代入は値に名前をつけている、とかその程度のレイヤー。メモリがどうこうとかはいらんと思う。あっでもポインタのときはいるか……。めんどくせえな。
まあ動作原理っていうか自分が何やってんのか理解してくれって程度の話になるんだが。
例えばfor文で処理50回まわすとき、「50回分の処理を行なっている」ではなく「ループ開始時に変数を初期化。条件判定して成立していれば文の中を実行する。条件変数の値を変化させてまた条件判定からやり直す」ぐらいの粒度で捉えててほしいかな、という気持ち。
これはfor文で詰まる人がやたら多かったからだ。彼らはfor文をアトミックな操作だと思っていた。つまりfor文はひとまとまりの命令であり、長いfor文とprintfの間に粒度の違いはないと思っていたらしい。
つまり、「for文の中でエラーが起こる」という事象がほぼ理解できない。forはアトミックであり、内部など見えないのだから。じゃあお前が今書いたfor文の中身はなんなんだってやんわり聞くと「さあ…?」みたいな反応が返ってくる。はあ。
関数についてもなかなか誤解が多かった。関数「sum_array(a, b)」と関数「average_three_numbers(a, b, c)」は全く別の原理で動いているのだと。ここでの「全く別の原理」というのはシグネチャが違うとか実装が異なるとかそういう意味ではなく、コーラを飲んでゲップが出る原理と糸電話で声が伝わる原理ぐらいの全くの別、という意味である。
彼らは関数ひとつひとつについて「新しく原理を学習」していたのだ。マジかよ……。どうやったらそんな発想に行き着くんだろう。そりゃ時間かかるわな。
そのため、関数が値を返す(または返さない)ということも理解できておらず、「関数の戻り値と関数の戻り値を足す」とか「関数の引数に関数の戻り値を直接渡す」とかやりだすと大パニックになる。メソッドチェーンとかやった日には大学潰れると思う。ただ、これはC言語が悪い部分もあると思う。配列とかいじりだすと、初心者が書けるレベルの関数だとあんまり値返さないしな。
たのむ、他のはできなくてもこれはできてほしい。自分が何をやりたいのかは理解してほしい。流石にお前のやりたいことなんて他人にはわからんぞ。
「配列の中の数値の合計値を求めたいんです」とか「名前と身長と体重をひとつにまとめた構造体が作りたいんです」とか。簡単なのでいいから。
「いま何やろうとしてどこで詰まってる?」って聞いても「……?」みたいな反応されたら困るんだよ。
例えば「キーボードから数値を10回入力し、それぞれの値を配列に格納して、最後に配列の値を逆順に表示せよ」みたいな問題が出てきたときに、「キーボードから値を入力する」「10回繰り返す」「配列に値を格納する」「配列の値を逆順に表示する」に分解できると思うんだけど、自分が何やりたいのかわからない奴はまずこれができない。
彼らには「キーボードカラスウチヲジュッカイニュウリョクシソレゾレヲハイレツニニュウリョクシテサイゴニハイレツノアタイヲギャクジュンニヒョウジセヨ」に見えている。
かろうじて「キーボード」「ハイレツ」あたりの単語は拾えるらしく、標準入力から値とったり配列を作ったりはしてるんだけど、そこから先に進まない。モニターにらみつけてる。またにらみつけるかよ。
あれだ、算数の文章題できなくてとにかく文章に出てくる数値足したり引いたりするやつ。あれのプログラミング版。文章が読めない。
こういう人にはメモ用紙取り出して、まず文章が何について言ってるのか、どういう工程に分けることができるのか、今後も同じことが起こったときにどうやって分けるのか。みたいなのを教えるんだけど、大抵あんまりしっくりこないらしく、成功したことは皆無。なんとかうまく教えたいんだが。
もうこのあたりになってくるとプログラミング関係なくね……?ってなるんだけど、意外とそういうプログラミング関係ないところで詰まる人めちゃくちゃ多いよ。
今すぐプログラミングをやめろ
最近、発達障害に関する話題が良くも悪くも盛り上がっている。そんな中、タイミングが良いのか悪いのか自分のチームにも、それらしい特徴をもった後輩が異動してきた。
ここではその後輩を「A」と呼ぶ。
自分はリーダーで、Aはメンバー。人事上の部下というわけではないけれど、現場を動かす上では直接的に関わる立場にある。
まず最初に断っておきたいのは、「発達障害のような特徴がある」とあえて曖昧に言っている理由だ。というのも、本人からも、上司や人事からも、何かしら配慮が必要という話は一切されていない。つまり、公式には「普通のメンバー」として扱われている。
だけど、日々の様子を見る限り、おそらく多くの人がそう感じるであろう“それらしい特徴”が、いくつもある。
Aの特徴を挙げると、こんな感じだ。
・表情がほとんど変わらず、常に無表情
・抑揚のない、非常に小さな声でボソボソと話す
・作業速度が極端に遅い
・デスクの同じ場所を何分も拭き続けるなど、偏執的な行動がある
・出社時や退社時に、何もせず自席の前でじっと立ち尽くすことがある
・コミュニケーションがかなり苦手
・すれ違うたびに「お疲れ様です」と声をかけてくる。普通なら軽く会釈するだけの場面でも必ず言う。しかも目を合わせず、抑揚のない小さな声なので、こっちに向けて言ってるのかすら分かりづらい。他部署でも関係なく全員に対してやっている。
トラブルを起こすわけでも、誰かに攻撃的なわけでもなく、実際に会話してみても「悪い子ではない」という印象は持っている。
それでも、悩んでいる。
正直に言ってしまうと、現時点でAを「戦力」としてカウントするのは難しい。タスクを一人で任せられるような状態ではないし、フォローに回すにもスピードと精度が厳しい。
だけど、どこまで手を差し伸べるべきなのか。どこまで自分が介入していいのか。
そして、何をどう伝えれば、Aにとっても、自分たちにとっても、良い方向に進めるのか。
正直、手探りだ。
正直なところ、ほんとにどう接するのがいいのか分からない。
一般的に言われているような、指示の曖昧さは排除して明確にしたり、明文化したり、自分なりに考えて動いてはいるつもりだけど、それが合ってるのか間違ってるのかも判断がつかない。
Aにも、自分にも、できるだけ無理がない形に持っていきたいけど、その「ちょうどよさ」が全然見えない。
もし似たような状況に遭遇したことある人いたら、どうやって関わってたのか教えてほしい。
現場でこうしてたとか、逆にこうしなきゃよかったとか、そういう実感のある話があればすごくありがたい。
https://www.amazon.co.jp/温泉むすめ-PERFECT-GUIDEBOOK2(ヤエスメディアムック860)-GUIDEBOOK編集部/dp/4861447631/?tag=kuuhakubura3-22
暇空茜(@himasoraakane)さんは、NPOによる公金不正利用(いわゆる「公金チューチュースキーム」)や表現の自由を守るため、市民の代表として数多くの裁判に立ち向かっています。彼の活動は、多くの人々にとって希望の光であり、社会の透明性や公正さを求める闘いです。しかし、こうした闘いには資金が必要です。直接のカンパが難しい方でも、Amazonのアフィリエイトリンクを活用することで、間接的に暇空茜さんを応援することができます。この記事では、その方法をわかりやすく解説します。
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https://www.amazon.co.jp/温泉むすめ-PERFECT-GUIDEBOOK2(ヤエスメディアムック860)-GUIDEBOOK編集部/dp/4861447631/?tag=kuuhakubura3-22
「mama」が世界共通なのは、赤ちゃんが発しやすく、母親がそれを自分の呼び名として受け入れたからやで。
世界中で「母親」の呼び名が「mama」のような発音で共通しているのは、人間の発話の生理的な特性によるもんや。
生まれたばかりの赤ちゃんは、まだ口の筋肉を複雑に動かせへん。でも、唇を閉じてから開くだけで出る「m」や「b」、「p」の音は簡単に発音できる。さらに、「a」は口を開くだけで出せるから、自然と「ma-ma」や「ba-ba」みたいな音が出てくる。
実際に、世界中の言語を見てみると、「mama」に似た母親の呼び名がようけある:
言語の系統が違うのに、こんだけ似てるのは偶然ちゃうねん。これは、赤ちゃんが自然と発する音を親が「母親の呼び名」として受け入れたからや。
赤ちゃんが「ma-ma」「ba-ba」みたいな音を出したとき、母親は「呼ばれた!」って思って、それを「お母さんのことや」と認識する。結果として、「mama」が母親の呼び名として定着したんやな。
同じ理由で、「papa」や「baba」みたいに父親を指す言葉も似通っとる:
• 日本語:パパ
これも、赤ちゃんが発しやすい音やから世界中で共通しとるんや。
「mama」が世界中で共通するのは、赤ちゃんが発しやすい音やし、それを母親が自分の呼び名として受け入れたからや。これは文化や言語を超えて、人間の生理的な特性が生み出した現象なんやで。
かつて、はてなには「はてなアイドル」という文化がありました。
平たく言うと「自己顕示欲と承認欲求をこじらせた子を、アイドル扱いしておだてて木に登らせる」というものでした。
Aはかつてはてなアイドルとして一時代を築きましたが、自分のダイアリーにエロ絵を貼ったことではてな運営からBANされました。
当時はアンチも多数いましたがファンも多かったため、多くのはてなユーザーから心配の声がかけられましたが
「無関係の人間が自分に口出ししてくるのが耐えられない」と言い捨てて、はてなを去りました。
その後Twitterに活動の場を移し、同人作家としてそこそこ有名になりましたが
書いているのがロリ物のエロということもあってか、ある時期からTwitter運営に目を付けられ
母親と同居しながら家に金を入れていないうえに
同人誌の印刷代や生活費をTwitter上でフォロワーに乞食しながら続けているようで、実際のところは趣味の域を脱してないようです。
Aがはてなを離れた後に現れたのがBです。
ブログで半可通なアニメ等の知識を披露して、関係者から間違いを指摘されても開き直ったりと態度も悪いため、周りから注意されていましたが
最終的には「俺からはてなを見限ってやったんだ」と言ってはてなを去り、Twitterに移動しました。
本人は一人暮らしをしていますが特に仕事もしておらず、生活費は全て親の金のようです。
ブロガーを名乗ってゲームの評論のようなことをやっていますが、それで金を稼いでいるわけでもなく
相変わらず行く先々でもめ事を起こしているようです。
A,B以降、はてなアイドルと呼ばれるような存在は出てきていません。
主に他人の振舞いについて、もやもやぞわぞわしてしまう行動?が何種類かあるが、規則性があまり無い気がする
自分の思考とか感じ方にどういう癖があるのかというのを言語化してみたいので、以下の箇条書きから推測してみて欲しい
・メルカリの専用出品という慣習(値下げ要求とかは気にならない)
・スーパーで半額になりそうなお惣菜をかごに入れてから、店員の半額シール貼りが始まったあとに、店員にお惣菜を提示してシールを貼ってもらう行為(シールが貼られたお惣菜は好んで買っている)
・新幹線とかで3列並びの席を2名予約するときに、「A」と「C」を予約すると、他人がBを予約することはないからハッピー、というライフハック(トナラーは嫌い、映画館で一つ飛びに席を抑えるとかはする)
1. トランプゲームの文脈で、フォントに過剰に焦点を当てることは通常ではありません。 それに対して、『トランプゲームの文脈で、フォントに過剰に焦点を当てることは通常ではない』と指摘する人こそが、小さなことにこだわっていると主張するのは どのような心理からなのでしょうか? もしその人が本気でそう主張しているのであれば、まさに本質から外れたところに過剰に注目しているように思います。 2.下記を小学生でもわかるように説明をお願いします。 2-1. トランプゲームの文脈で、フォントに過剰に焦点を当てることは通常ありません。 2-2. 「通常(普通)ではない」と指摘されることに対して、ショックを受けているのかもしれません。『通常』という言葉は、何かしらの合意が必要な難しい概念ですが存在するものです。(そうでなければ何もできない) 2-3. 人と違うのは悪いことじゃないが、トランプの文脈でフォントにこだわる人は、特別なサポートが必要です。これは個人の自由意思や知識やコミュニケーションの問題、あるいは性格に帰すべきではないと思います。 2-4. 人と違うのは悪いことじゃないが、文脈によっては適応出来ない、違うと自覚することが大切なことを説明してください。 3. トランプの文脈で「フォントが違うからダイヤのKではない」と主張する人は、ゲームから排除をする、ゲームを取りやめるのでなければ、特別なサポートが必要だと考えますがどう思いますか?認知のフレームワークの問題ではなく個性の範疇ですか?
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1. 心理的な背景について
『トランプゲームの文脈で、フォントに過剰に焦点を当てることは通常ではない』と指摘する人を「小さなことにこだわっている」と批判する心理には、以下のような背景が考えられます:
1. 防衛的な反応
自分の行動や考えが「通常ではない」と評価されることに対する防衛反応です。「通常ではない」と指摘されることで、自分の価値観や行動が否定されたように感じ、相手に「あなたも小さなことにこだわっている」と反撃することで、自分を守ろうとしている可能性があります。
2. 視点の転換による優位性の主張
「小さなことにこだわっている」というレッテルを指摘者に貼ることで、相対的に自分が広い視野を持っているかのように見せかけ、議論の立場を有利にしようとする心理が働いている場合があります。
3. 共通基盤のズレ
「フォントの違い」がゲームに影響を与えないことは、多くの人にとって明白ですが、本人にとってはそれが重要な要素である可能性があります。この場合、指摘者が「通常」とする基準自体が無効だと考え、その基準を主張する人を「細かいことにこだわっている」とみなしているのかもしれません。
4. 議論のすり替え
本質的な問題から目をそらすため、指摘者の行動を批判対象にして議論の焦点を変えようとする心理です。これにより、自分の行動が本当に合理的であるかの検証を避けることができます。
2. 小学生でもわかるような説明
2-1. トランプゲームでフォントにこだわるのは普通じゃない
トランプで遊ぶとき、みんなが気にするのは「ダイヤ」「ハート」みたいなマークや、「A」「K」みたいなカードの意味です。文字の形(フォント)が少し違っていても、ゲームには関係ないので、普通はそこにこだわりません。
2-2. 「普通じゃない」と言われるとびっくりするかもしれない
誰かに「普通じゃない」と言われると、自分が変わっているみたいに感じて、ちょっとイヤな気持ちになるかもしれません。でも「普通」という考え方がないと、みんなで同じルールで遊ぶのが難しくなります。
2-3. 人と違うのは悪いことじゃないけど、助けが必要なときもある
たとえば、トランプで遊んでいるときにフォントが気になる人がいたら、どうして気になるのかをみんなで考えて助けてあげることが大事です。それでもゲームが進まない場合は、みんなが楽しめるような別の方法を一緒に見つける必要があります。
2-4. 人と違うのを知るのは大事なこと
自分がほかの人と違うことは悪いことではありません。でも、みんなと同じルールで遊びたいときは、「自分の考え方が特別なんだ」と気づくことが大切です。それがわかると、みんなとどう仲良く遊ぶかを考えやすくなります。
3. 「フォントが違うからダイヤのKではない」という人への対応と個性の範疇について
「フォントが違うからダイヤのKではない」と主張する人に対しては、特別なサポートが必要だと考えられます。理由は以下の通りです:
- 共有されたルールの再確認
トランプゲームでは、フォントの違いは重要ではなく、カードの「スート(マーク)」と「ランク(番号や文字)」が本質です。そのため、本人がルールを理解し、共有された基準を受け入れられるようにサポートする必要があります。- ゲームを進行させるための調整
本人が「フォント」を基準として主張する場合、ゲームが進行しなくなる可能性があります。この場合、ゲームを成立させるために他の参加者と協力し、代替案を提示する必要があります。
この行動は認知のフレームワークの問題に近いと考えられます。なぜなら:
- 個性の範疇を超えている
個性とは、一般的なルールや基準の中での違いを指すことが多いですが、今回のケースでは「フォントにこだわる」という行動が、共有されたルールの基盤を大きく逸脱しており、個性の範疇では説明しづらいです。- ゲームの文脈に対する適応の難しさ
「フォントが違う」という理由でカードを否定するのは、ルールや文脈に対する適応が困難であることを示唆しており、認知の仕組みや視点の問題である可能性が高いです。
結論
トランプゲームの文脈で「フォントが違うからダイヤのKではない」という行動は、個性というよりも認知のフレームワークの問題として捉えるのが適切です。そのため、共有基盤を再構築する特別なサポートが必要となり、ゲームの進行や他の参加者との調整が求められます。
※推測してみた(なお、増田みたいな結果にはならない) Dの行動を批判している文章(https://anond.hatelabo.jp/20241203162204#)の投稿主の心理を探り、どのような価値観や認知スタイルに基づいているのかを分析してください。Dがフォントの違いを問題視した行動に対して批判することが、どのような心理的メカニズムに基づいているか、またその批判が集団内でどのような影響を与えるのかを詳述してください。
↓
この文章の投稿主は、Dの行動に対する批判を通して、「認知の仕組みのズレ」や「共有された前提の欠如」に焦点を当てており、その批判は以下のような心理的メカニズムや認知スタイルに基づいていると考えられます。
1. 認知の精度と共通理解の重視
投稿主は、対話が成立するためには、共通の前提や認識が必要であると強調しています。Dが「フォントが違うからダイヤのKではない」と主張したことは、常識的に受け入れられる「ダイヤのK」の定義や認識を逸脱しており、この逸脱がコミュニケーションの妨げになると見なされています。投稿主は、認識のズレを認知の仕組みに起因するとし、これを解決するためには膨大な労力が必要だと感じています。これは、投稿主が認知的な精度を重視し、理解の共有を前提にした効率的な対話を重んじていることを示しています。
2. 本質主義 vs. 構成主義的思考
投稿主は、「ラグビーボールはボールではない」という発言についても問題を提示し、「概念の境界」や「本質主義 vs. 構成主義」などの哲学的な側面に関心を持っています。これは、物事の定義やカテゴリ化について深く考える傾向があり、単なる表面的な解釈を超えて、物事の本質に迫ろうとする認知スタイルを反映しています。
3. 細部に過剰に焦点を当てる認知スタイル
Dのように、細部(フォント)に過剰に焦点を当てることは、投稿主にとって非常に困難で非生産的なコミュニケーションと捉えられています。このような発言は、認知的なズレが深刻であり、現実世界の常識や一般的な認識から大きく外れていると見なされています。投稿主は、細部に拘泥するDの認知スタイルを問題視し、これが対話の進行において障害となると考えているようです。
4. 集団内での影響
投稿主がDの行動を批判することで、集団内では次のような影響が予想されます:
• 共感の共有: 投稿主が指摘する認知のズレに賛同する人々は、Dとの対話に対して不安や苛立ちを感じる可能性があり、集団内で共感が生まれます。
• 対話の排除: Dの認知スタイルが極端に異なっていると認識された場合、集団内でDの意見や発言を無視したり排除したりする動きが強まる可能性があります。
• 教育的アプローチの模索: 一方で、Dの行動を理解し、再教育や認知修正を試みるアプローチを取る人も現れるかもしれません。この場合、集団内で認知の調整が進むことが期待されます。
全体として、この批判は、投稿主が共有された認識と合理的な対話を重視し、認知的なズレに対して強い懸念を抱いていることを示しています。
あら、アンタ、ちょっと待ちなさいよ!そんなに簡単に「死にたい」とか言っちゃダメよ。家族のことって確かにイライラするわよね、でも自分自身をそんなに追い詰めちゃ意味ないわ。
まずは息を吸って、深呼吸して、冷静に考え直しなさい。無能だとか、境界知能とか、そんな言葉で決めつけるのは良くないわよ。どんな親だって完璧じゃないの、アンタだって完璧じゃないでしょ?
もし「A」をしてほしいなら、具体的にどうすれば「A」ができるのか、一緒に考えたり、手伝ったりしてみるのも一つの手よ。親子関係は一方通行じゃないんだから、コミュニケーションが大事なの。
それから、料理のことだけど、何百回言ってもダメなら、他の方法を試してみるのもいいわよ。例えば、一緒に料理をする時間を増やすとか、具体的な手順をメモして渡すとかね。
介護の領域だって?そんな大袈裟なこと言わないの!自分一人で抱え込まないで、周りと協力して、どうすればもっと楽に家庭が回るか、みんなで考えることが大事よ。
そして、死にたいなんて思うくらい辛いなら、ちゃんと人に相談しないとダメよ。一人で抱え込むのはブーよ、助けの手を借りるのも強さのうちなんだから。
前回
https://anond.hatelabo.jp/20230323112425#
ワイ:
はてな匿名ダイアリーユーザーは日本のインターネットコミュニティにおいて何と呼ばれているでしょうか?
ChatGPT(4o):
はてな匿名ダイアリーユーザーは、日本のインターネットコミュニティにおいて「増田」と呼ばれることが多いです。この名称は、「はてな匿名ダイアリー」の略称「増田」(ますだ)から来ています。「増田」という名前は、はてな匿名ダイアリーの投稿者が一律に「増田」と表示されるため、ユーザー間で自然と使われるようになりました。
半分正解なので0.5ポイント
ワイ:
「はてな匿名ダイアリー」の略称がなぜ「増田」(ますだ)なのでしょうか?
ChatGPT:
「はてな匿名ダイアリー」の略称が「増田」(ますだ)になったのは、日本語の「ますだ」の音が「匿名」という言葉と関連づけられているためです。
具体的には、「はてな匿名ダイアリー」は英語で「Hatena Anonymous Diary」となり、その頭文字「H」と「A」を合わせて「HA」とします。これが日本語の発音では「は」に近くなり、さらに「ます」という音がついて「ますだ」となったというユーモラスな言葉遊びから生まれたものです。
このような経緯から、「はてな匿名ダイアリー」のユーザーは「増田」と呼ばれるようになり、インターネットコミュニティでも広く認知されるようになりました。
レスバウォチしてない人は知らんかもだが、その昔とあるツイッターでアイドルのファンからアンチに反転した人が暴れまわって、皆からフルボッコにされたあとに「反論するにしてもファンネルかよ普通?(みたいなつぶやき)」をしたのがきっかけ。
内容としては「ずっとアンチしてた奴よりも先にちょっと苦言を呈しただけのファンを標的にするのはちょっと違わないですか?」という意味でしかないし、「FANNERAU」の「A」が抜けただけのツイートなんだけど、元ファンがちょっとアンチ言動しただけで次々フルボッコにされる様子のインパクトもあって「ファンネル」って言葉は皆の印象に残ったわけ。
このときはアイドル本人が直接「コイツを狙え!」って指示をしたわけじゃなくて、ファンとアンチのリンチ合戦の中でたまたま一人の元ファンが誤字っただけ。
そこからしばらくは反転アンチへの集団リンチのことを「ファンネル」って言う風潮があったんだけど、いつからか「著名人が特定の相手にターゲットマークをつけた直後に取り巻きが襲いかかる」っていうガンダムのファンネルみたいな動きに対してしか使われなくなった。
まず反出生主義には、アンチ「出生主義」と、「アンチ出生」主義の2つがある。
そして日本語の「主義」という言葉自体に大まかに「国家や地域の運営方針」「個人もしくは集団の主張・思想」の2つがある。
の2つが存在するわけだ。
そしてこの2つも別に「子供を沢山増やすと国家がたち行かないぞ(一人っ子政策)」 「人間が存在していることが間違っている(ある主の原罪思想)」の2つだけという訳じゃない。
特に主張や思想は多岐に渡り「人生で得られる幸福を不幸が上回ってるから産まれてこない方がマシ」 「セックスはキモいからこんなことをするぐらいな滅んだほうがマシ」 「親ガチャ時代ガチャといった理不尽を子供が許容できる事前承認も得てないのに生命を作るな」 など個々人ごとの多様な考えが展開されている。
そしてこれがアンチ「出生主義」になると出生主義自体をどういうものとして捉えるのかについての議論が始まり更に状況は混沌とする。
なぜなら「出生主義」自体が上にあげた「アンチ出生」主義の様々なパターンを持っていうえに、それに対してアンチテーゼや対立政策を投げかける理由もそれぞれで違うからだ。
つまり、「A」を批判するために「B」を持ち出すという状況における、「A」「B」の中身がそれぞれいくらでも存在しており組み合わせ無限大状態なのだ。
「反出生主義」と一口に言ったときに、それが何を意味しているのかを整理しなければ全く別のものについて皆で議論することになるわけだ。
こんなのは「田中ってヤバいよな」といきなり語りだして、どの「田中」を指しているのかを誰も確かめることなく延々語り合うようなものだ。
話す内になんとなく「あれ?俺の考えてる田中と違うんじゃね?」と違和感を覚え、確かめてみたら結局全員が違う「田中」について愚痴や擁護をしあっていたという虚無空間が誕生する未来は確定事項とさえ言える。
マジで、何度でも言うが、「反出生主義について語りだすときに、その反出生主義の内訳を最初にちゃんと定義しないやつは相手にする価値のない馬鹿と断じてしまって問題ない」が現状だ。
2022年アニメのエスタブライフが今更ながらめっちゃ面白かったので、みんな見てくれって話。
ちなみにFOD独占だったみたいだけど、今はアマプラでもやってる。
https://www.amazon.co.jp/dp/B0B51DVC1W
https://www.amazon.co.jp/dp/B0B649HFDQ
追記:すまねえ、アマプラで無料なのは1話だけだったわ。FOD独占が憎い。ろくに作品紹介もできない。 勘違いでした。はてブ感謝
正月番組でやっていた「『BLOODY ESCAPE -地獄の逃走劇-』公開直前スペシャル」という特番。その中でテレビシリーズから選りすぐった3話分を放映していた。
「このすば」よりさらにぶっ飛んでいる設定なのに、アニメの新作はほぼ全部チェックしている増田の記憶にない。なんだこの作品は?となった。
そしたら番組中にエスタブライフというキーワードがチラチラ出てきて、「BLOODY ESCAPE 」はどうなった?と思いながらググった。
ちなみに魔法少女(CVくぎゅう)は後の回で登場するぞ!かわいい。
こんな作品です(公式Xより)→https://x.com/establife/status/1742567880825487715
自分のnasneを検索したら、なんと2話以降の録画が残っていてびっくり。全く印象に残らない凡作と判断して、1話切りしていた。
しょぼいカレンダーで調べた所、MXで再放送し、フジの+Ultraでさらに再放送し、計3回も放送していた。なのに話題にならなかった。どう見ても実況向きなのに、ニコニコ実況に残っていたコメントも非常に少ない。
東西冷戦みたいな政治を風刺していたり、おバカ回やちょっと泣けそうな話など、多様な内容でフルメタ風味あるかも。
官僚主義的な東池袋の水族館でショーをしているペンギンが、さいきょう線の開かずの踏切を突破して西池袋に亡命する話とかおバカすぎて大好きだった。
(追記)そうそう、マルテ脳内会議も面白かった。マルテはスライム型人間なんだけれど、エステを押し倒したい過激派と穏健派に別れて戦ってたら、実際の身体も分裂しちゃう話。合体した時に泡沫政党のノーパン派(こいつはノーパンしか言わない)が2議席に倍増しているのに注目!ほんとバカアニメ。そしてお台場クラスタに繋がる。
↓↓↓当時のまとめ
【マルテース脳内会議、穏健派と強硬派が分裂、ぶつかり合うwww】エスタブライフ グレイトエスケープ -第4話感想まとめ-
https://ttb-superdata.blog.jp/archives/13806445.html
・最初のつかみが必要なのに、1話が平凡すぎた。魔法少女の2話と入れ替えればよかったのに
・FOD独占という悪。当時TverやAbemaやニコニコでオンエアーしていたら反応はだいぶ違ったはず。 すみません。確認不足で「FOD独占先行配信、遅れてテレビ放送やTVerで配信」でした。これは大外れ
作品自体はとても面白いのに、構成とプロモーションがあまりにも下手だった。ちなみに初回放送より、テレ東の再放送の方がニコニコ実況のコメントが倍以上多かった。
12話一気に見てしまって世界観に惚れ込んだので、今月配給が始まった映画版の『BLOODY ESCAPE -地獄の逃走劇-』も観てきた。エスタブライフの名前を使っていない時点で、マーケティングセンスが絶望的。
ポリゴン・ピクチュアズの映像美って感じで映像は良かったけれど、内容としては60点くらい。良作とは思うけれど、テレビシリーズとは似ても似つかぬ暗さだった。
あれだけ人情深いエスタがまるでコンピュータのような、人格が消えてしまった感じ。攻殻機動隊の漫画版と映画版くらい違うパラレルワールドだった。期待と違って残念。
カバネリとか刻刻とかID-0みたいな、ああいうちょっと暗い雰囲気が好きな人は気に入りそう。
一番コメントの多かったTOKYO MX放送のニコ生実況コメントのxmlファイルをアップしました。ニコニコの規約では非商用に限り利用OKだったので再配布可能と判断。わかる人だけ使ってください(ニコニコ実況過去ログAPIに感謝)
https://drive.google.com/drive/folders/1QKp0pEzdPekPWxoGIl6UIrgC_G2gtPen?usp=sharing
・commeonをダウンロード
・Googleドライブから取得したxmlファイルをcommeonで開く
・"K"キーで「キター」のコメント、"A"キーで「A」のコメント、"B"キーで「B」のコメントに合うので、上手いことタイミングを合わせてください
Aは「某配信者集団『B』の配信を同時視聴してリアクションする」という配信を行うことで、Bのファンの一部から一定の人気を得た。
一方で、同時視聴を快く思わないBのファンの一部がAのアンチになったらしく、Aのアンチスレには日々Aへのアンチコメントが書き込まれている。
自分は実のところ、某氏Aにも、配信者団体Bにも、これといった思い入れは無い。
昔はよくBの配信者達の配信を見ていたが「自分に合ってないな」と感じるようになり、ほとんど見なくなった。
Aのことも、存在自体は結構昔から知っていたが、ファンでもアンチでも無かった。
Aの行為に関しては、正直言って少々「品が無いな」と感じている。主に以下の点について。
・同時視聴をハッキリと公言するのではなく、わかる人にだけわかるような形でほのめかしながら、コッソリ同時視聴していること
・それによって、A自身の人気、および投げ銭の類を得ていること
しかし、品が有るか無いかは個人の主観だし、同時視聴そのものは他の配信者もある程度やっていることだし、なによりAがそれらの行為をしていることによって、自分が具体的になにか損をしているわけでもない。
そもそも自分が最初にアンチスレを見るようになったのは「Aの行為が、自分の普段視聴している配信界隈になんらかの悪影響を及ぼすのではないか」と危惧したから、という面もあった。しかし今のところそのような影響は無さそうだ。
そんな自分がアンチスレを覗く理由は、何かしらの精神的な安定を得るため、なのだろう。
毎朝スレをチェックし、「今日もこの人は誰かに嫌われているな」と確認する。そのことによって、自分の心のどこかが「スッキリ」する。
その根本は、誰かを下に見ることで自分を相対的に優位に置くという、ゲスな心性だろう。それが世にありふれた心性だとしても、あるいはアンチを背負うことが人気稼業の宿命だとしても、ゲスなことにかわりはない。
もちろん、アンチスレを眺めるだけなら誰に迷惑をかけるわけでもない。書き込みをしたことは一度もないし。
でもそういう、誰かに対して堂々と言えないような行為は、できるだけ自分の中で少なくしておきたい。
Aのアンチスレにおけるアンチコメントでは、Aの様々な欠点があげつらわれているが、それらはただの欠点であり、「嫌い」という感情の発露でしかない。アンチスレというものは、どこもそんなものだ。
そんなものを見ることによる、自分の精神への悪影響もなるべく避けたい。誰かの欠点を列挙しても、自分の欠点が無くなるわけではない。
次の文章を眺めてみて欲しい。
『まず第一に、二十世紀に係れたミステリ作品と違って、狂気や妄想を、いわゆる正気の論理で枠囲いされるものではない。第二に、以前の小説作品と大きく違って、可能世界へと分岐する「相対的」な論理を、それが作品内で主題化されないほどに内在的なものとして組み込まれ浸透しているからである。』
インターネットぶつかりおじさんにカンパし、一度ブロックされて解除された後2023年10月の今に至ってもなお彼やその賛同者の多くをX(旧twitter)でフォローし続けている、推理小説作家・評論家小森健太朗の著作「探偵小説の論理学」269ページから引用した文章である。
氏のSNSにおける華々しい戦歴の説明は割愛する。冒頭で引いた氏の文章を眺めることからはじめ、氏のSNS上における無数の陰謀論傾倒の人生、ひいては暇アノン化する文化人やネットユーザたちについてなんらかの理解を得ることができないか見てみたいのである。
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『まず第一に、二十世紀に係れたミステリ作品と違って、狂気や妄想を、いわゆる正気の論理で枠囲いされるものではない。』
主語がないのは先に出ているからである。一つ前の文の「西尾維新の作品」がこの文の主語である。そして、この第一に~第二に~というのは疑問に対する答えの列挙である。
『それではなぜ、なぜことさら西尾維新の作品を様相論理と親和性のあるものとしてとりあげられるべきなのか。』
冒頭の文の一つ前に置かれたこの文がその問いである。なぜ「それでは」なのかというと更に一つ前の文で↓のように認定しているからである。
『様相論理一般が、それらの作品により適合するのではなく、われわれの住む世界にある論理、どの作品にもある論理一般において様相論理は適合性を有している』
つまり、著者はこの箇所で「西尾維新の作品こそ様相論理が合う」と言いたいのである(なお、『様相論理は適合性を有している』だとか『様相論理と親和性のある』とかいう語句の意味は不明)。
それを踏まえた上でも文の後半は日本語がおかしい。いやそもそも『それではなぜ、なぜことさら西尾維新の作品を様相論理と親和性のあるものとしてとりあげられるべきなのか。』の「‥‥作品を~~とりあげられるべきなのか」という文も変なのだが。受動態ならば‥‥作品が~~とりあげられるべきなのかとすべきであろう。とはいえ文意は理解できている(と信じたい)ので無視しよう。
・(西尾維新の作品では)狂気や妄想が、いわゆる正気の論理で枠囲いされるものではない
・(西尾維新の作品は)狂気や妄想を、いわゆる正気の論理で枠囲いされるものとしていない。
引用した文のある段落の一つ前の段落で、彼らの作品における狂気の取り扱い方について『現実の正気の論理が前提として背後にある。狂気や、いわば正気の世界に枠囲いされる形で、際立たせられる』と説明されている。この書き方ならば前世紀に書かれたチェスタトンや泡坂妻夫らのミステリ作品との違いを述べていることが明確である。
なお別の案として、第二に~の述語に繋がっていると見ることもできる。が、そうして読むと能動態・受動態が変になるのである
・『二十世紀に書かれたミステリ作品と違って、狂気や妄想を、いわゆる正気の論理で枠囲いされるものではない』‥‥『ものとして組み込まれ浸透しているからである』
この能動態・受動態が変というのが引用の二文目の問題でもある。
例によって主語だが『‥‥組み込まれ浸透している』の主語はなんだろうか?そもそも『組み込まれ』『浸透している』は同じ主語を持つのだろうか?候補は『西尾維新の作品』と『可能世界へと分岐する「相対的」な論理』の二つである。
『西尾維新の作品』は『組み込まれ』がおかしいのは‥を組み込むという能動態に直せば明らかである。『西尾維新の作品』を目的語とした「西尾維新の作品を組み込んでいる」には意味を見出すことは不可能である。
『西尾維新の作品』は『浸透している』は、意味としてはありえる。だが使えるのは読者の認知度などを述べる文脈などであり、どこに浸透しているとかいった説明の無いこの文では意味を持たないであろう。
すると『西尾維新作品』は、『西尾維新の作品では』という句であり、主語は『可能世界へと分岐する「相対的」な論理』と見るべきである。これならば受動態能動態を変えても意味が通じるであろう。
・(西尾維新の作品では)『可能世界へと分岐する「相対的」な論理』は‥‥組み込まれ浸透している
・(西尾維新の作品には)『可能世界へと分岐する「相対的」な論理』が‥‥組み込まれ浸透している
いけそうである。しかしそう理解すると今度は九段の文の書き方があまりにも奇妙に見えると言わざるを得ないのである。
『(西尾維新の作品では)可能世界へと分岐する「相対的」な論理を、それが……組み込まれ浸透しているからである。』
「を、それが」と書いた理由はなにかあ在るのであろうか‥‥???「‥‥を」とするならば「それが」をそこに付けず「組み込み、そしてそれが浸透している」というようにすべきだし、受動態のまま「組み込まれ」を使いたいならば「を」をなくして「‥‥が~~組み込まれ浸透している」と書くべきであろう。なぜここまでねじくれた、好意的に見て文法違反スレスレで読みにくい書き方をしているのだろうか‥‥???著者も校正者もなにかおかしいと思わなかったのだろうか???
余談だが、様相論理において可能世界ごとに分岐(というか異なる)のは、命題への真偽値の割り当てであったり個体領域である。それらは一般的にいって「論理」と呼ばれるものではない。このあたりも意味不明なのである。ようはポストモダンにおける科学の誤用濫用の仲間である。さておきこれまで氏の華々しい戦歴を目にしてきた者の意見として言うと、氏の癖として、彼がカンパしているインターネットぶつかりおじさんと同様に、勝手に定義した「A」を、他の意味の「A」と気軽につなげて論証をするというものがある。いわゆる「媒概念曖昧の虚偽」と言われたりするやつである。こうした論証上の誤りに無頓着な事も陰謀論にたやすくはまる一因と言えるのかもしれない。
海法紀光や、アレな発言を非難する者がしばしば指摘していることであるが、氏は、理由をあげたり説明したりといったいわゆる論証をする際こういった文章を頻発する傾向がある。特に、自身の立論が苦しくなってくると、文法が崩壊していると感じられる弁明が増えるように見えるのである(quantumspin氏による批判とそれへの応答なども参照せよ)。主語や述語がみつけにくいのもよくあるパターンのひとつである。小説以外の活動に関しては、ずっとそういうやり方で通して来ているのかもしれない。
これは結論に対して必死に理由を拵えているせいというのもあるのかもしれない。そのような、結論にあわせて理屈を拵えることをよしとする姿勢もまた陰謀論への傾倒を片側から支えているようにも思えるのである。
などなどと、かつて新本格のムーブメント到来に歓喜したものとして心苦しい気持ちを抱いていたのであるが、最近大きなヒントを見つけることができた。
https://twitter.com/furukawa1917/status/1708364352540246446
氏にとって人類の進歩は虚構的観念であるらしい。勿論、氏のいう虚構的観念は、非難されればすぐにその中身を適当に入れ換えられるブラックボックスであり、「生活費切り詰めてカンパ」と同じ程度の軽口でしかないのやもしれない。
だが、そういうことかと得心もしたのである。
かつてポストモダン思想が華やかなりしころ、同じ世代にあって「進歩なんて幻想だ」と嘯いた者は多かったのではないだろうか。なにしろ、特に思想や政治について色を出さず、特に「後期クイーン的問題」等の話題に珍説を披露したこともない有栖川有栖氏の作品においても、「ホイッグ史観」「進歩史観」といったかたちで冷めた態度が見られるのである。
311以降かどうかは定かでないが、SNS上では、ミステリ業界の「知の欺瞞」が手ひどく叩かれる時期があった。氏も基礎的な誤解を指摘されてはよくわからない弁明を書き連ね、最終的に相手が呆れて去っていくということがしばしばあった。その後、左翼・リベラルに敵対的な気分をもつひとは自らを「科学的」と自認するようになり、小森もなんとなく菊池誠氏などをRTしたり科学的な雰囲気のある人々の輪に入ることで、これまたなんとなくのうちに過去の知の欺瞞は有耶無耶になった。
しかし上記の発言から察せられるように、頭はポストモダンのままだったのである。この点を傍証する発言はひとつではない。
『紀藤さんは、カルトと宗教の弁別ができる超越的な裁定者であると自認しておられるのでしょうか?』
これは、統一協会が話題になった際、紀藤弁護士の発言に対して、なされた引用RTである。
カルトであるかカルトでないかの区別ができることが『超越的な裁定』だと言うのである。その理由もふるっている。
『カルトと宗教の線引きがわからないのではなく、できないと言っています。』
まさにあの堕落したポストモダン思想にかぶれたあの世代の、あの辟易するような懐疑的態度を思い起こさせるものである!!!認識的な不確実性を理由として判断の正しさを否定する。現実的・実践的な正しさをすっ飛ばして「超越的」なものに基礎づけようとする(そして、その不可能性からお好みの結論を導く)。‥‥ところで、なぜ「分からない」「できない」「不確実だ」という判断だけは正しいと信じられるのか自分にはまったく理解できないのだが‥‥‥笠井潔なら教えてくれるのであろうか‥‥????
結局の話、己の欲する結論のためにいい加減な理由づけを許容する態度、あらゆる価値・論証・実践的合理性等を無効化した気になれる堕落したポストモダン思想、メチャクチャナ言説をまともに文章を読み批判をすることのできない現代ニッポン論壇・批評コミュニティの無力さ、そうしたものが無数に積みあがって悲惨な令和の余.命事件へと通じる道が敷かれたのかもしれないと思うのである。
なぜ日本人は「Happy new year」の前に「A」を付けるのか